最初の演奏旅行 1984年 [PH]
最初のレコード「ロック・クラシック」に基づいて、1984年春、ハンブルクからウィーンまで、20以上の都市を巡る、最初のロック・ツアー「バンドとオーケストラによるペーター・ホフマン 1984年」がスタート。ライブの伴奏は、フリッツ・ホフマンが、ヴェルツブルクのコンサートを聴いてから、クリス・デ・ブルクのバンドと契約。このツアーのプログラムの冒頭で、歌手は、オペラとポップスという二つの世界を往復することによって引き起こされる不協和音に関して、こう書きます。
「オペラ歌手としての私を見たい人は、オペラに行くべきである。全く異なった傾向をもつ音楽のどちらを選ぶかは、気分次第というのは、わかりきったことだと思う。私も、年がら年中ベートーベンを聴きたい気分でもないのと同様、時にはローリングストーンズのビートは我慢できないと感じることもある。みなさんが私の音楽に合った気分でコンサートにきてくださることを願っている」
それでも、明らかに別のものを期待していたらしい客も。彼らは、ポスターに書いてあった「バンドと・・」という言葉を見落としたにちがいないらしかったけど、舞台上からは見落としようがないほど、その場の雰囲気から浮いていたとか。
「私は一列目の席に宝石のアクセサリーをつけたイブニングドレス姿の客やタキシードを着た客が数人いるのに気がついた。どうみてもポップスのコンサートを期待しているようには見えなかった。はじめの『ツァラストウストラはかく語りき』の響きが鳴りやんで、私が『朝日のあたる家』を歌いはじめると、彼らがショックを受けた目つきになって、いきなり立ち上がり、ホールを去っていくのが目に入った。舞台上の私たちにとっては、非常に意欲をかきたてられる状況だった。私はその出来事をユーモアで受け止めようと、今からは全てのドアは外側から鍵をかけさせてもらうことにするので、ひょっとしてまだ立ち去りたい人がいないかどうか質問した。けれども、もう誰も出ていこうとはしなかったし、この晩だけでなく、そのあともずっと、私も聴衆もほんとうに楽しかった。15 万人以上の観客がこのコンサートを訪れ、大いに楽しんだ。ドイツ第二テレビ放送(ZDF)がコンサートのひとつを録画して6月に放送することになった。........
.........ツアーの成功で、引き続きこの道を進むという点において、私は意を強くした。どのみち私のポピュラー音楽はすでにある意味で一人立ちしていて、実際のところもはや止められない状況だった。」(ペーター・ホフマン)
笑うに笑えないお話ですね。
>宝石のアクセサリーをつけたイブニングドレス姿の客やタキシードを着た客
情報豊かな今の時代ならこういう客がロックコンサート会場に紛れ込むことはなかったでしょうけれど、ホフマンにとっても一曲も聴かず去った客にとっても不幸なことだったと思います。
こういう一握りの不幸なファンやガチガチのワーグナー信奉家の心ないひとことふたことが尾ひれをつけて悲しいうわさとして広まっていったのでしょうね。
by ななこ (2009-07-13 13:52)
オペラ歌手として有名になってましたし、今に比べれば情報も非常に少ない時代だからこそでしょうね・・ そして、その非常に少ない情報、ということは間違っていても本当だと思われやすいのに、さらに尾ひれがついて歪んだり膨らんだりして、一人歩きしちゃったんでしょうね・・そんなもともとはヨーロッパ発信の情報を入手可能な立場にあった、今はNHKのオペラ解説者にすっかり納まっている堀○某先生をはじめ、偉そうに専門家面した評論家やらジャーナリストが、この極東にまで運んできてくれたわけです。
インターネット時代になって、情報を無邪気にまるごと信じる人の割合は多少は減ったかと思いますが、当時は、権威ある活字情報は信じるのが当たり前だったと思います。
by euridice (2009-07-14 08:11)