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パーキンソン病 [PH]

1990年代の半ば、インターネットが普及し始め、海外の投稿サイトなどからも情報収集ができるようになりましたが、疑問は増すばかりでした。オペラはやめてポピュラー歌手に転向したのだとか、地方の劇場に出演しているのだとか、交通事故で死んだのだとか。その後、どうも難病らしいといううわさも見かけましたが、確かなことはわかりませんでした。2001年に歌手のホームページ http://www.peterhofmann.com/ が開設され、パーキンソンという難病であることが間違いない事実になりました。

P.ホフマンは、1999年8月、病気のことを公表し、その後はこの病気の啓蒙活動と研究支援を行っています。この病気に関しては研究費の不足が致命的といった側面が強いということで、ホフマンは、ペーター・ホフマン・パーキンソン研究プロジェクトの設立によって、パーキンソン病研究を積極的に援助しています。この財団は、寄付金を、この悪性の病気の克服に貢献する学問的プロジェクトに対する助成金として提供し続けています。寄付を待つだけではなく、例えば『ベスト・オブ・ロック・クラシック』のようなホフマンのCDの発売、所属するゴルフ・クラブでのゴルフ・トーナメントなども基金のための活動です。

パーキンソン病は、老人のかかる病気との認識が一般的ですが、若くして発病するケースも少なくないようです。例えば、映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」の主役マイケル・J・フォックスは29歳で自覚症状が発現。40歳ごろに発病したモハメド・アリ、ついこの間亡くなった前ローマ教皇 *註)ヨハネ・パウロ二世もその仲間ということです。尤もヨハネ・パウロ二世の場合は71歳ごろの発病らしいです。

パーキンソン病は脳内のある特定の神経細胞が徐々に死んでいくことによって運動障害を引き起こす進行性の難病です。私たちの生活の全て、歩くこと、階段をのぼること、自転車に乗ること、車の運転、衣服の着脱、さらには、書くこと、楽器の演奏、飲むこと、食べること、向きをかえるのも、朝起きるのも、私たちの自然な身振りや表情も、話すことも、歌うことも、あらゆることが運動です。この病気では、運動の調整に重要なドーパミンを生成する神経細胞が徐々に死滅するわけですが、この細胞が半減してはじめて、左右どちらかの、指や手が震えるといった特有の自覚症状が発現します。細胞が半減するまでにおよそ十年かかるそうです。特有の症状が出現する以前から、それと気づかぬまま、何らかの体調不良や異常があるわけですが、どのぐらい長い間、この病気を抱えてやってきたのかわからないのです。ある医者によれば、近年、若い患者の数は少し増えているが、これは診断の正確さと、患者が脳神経科の専門医の診察を受ける件数が増えている結果だろうと言うことです。

ホフマンの場合、特有の症状に気がついたのが1994年ごろ、50歳のころのようです。身体が動かないという最悪の状態になって、医者巡りの末、アメリカの専門医によってパーキンソンと診断されます。その後は、病気のことをあえて公表せず、投薬しながら音楽活動を継続。「本音を言えば、自分の病気について話したくなかった。同情されたりするのが嫌だったからだ。とにかく徐々に世間から身を引いていきたかった」のだけれど、様々な憶測が絶えることがなかったため、1999年に病気を公表します。

昨年、2004年8月、60歳を迎えたころの、ドイツのネット情報によれば、1987年ごろから、体調不良が目立つようになったようです。同年のボン・オペラでのパルジファルの新演出初日のキャンセル、バイロイト音楽祭でのトリスタンでの様子などに、不可解な感じを抱いた観察者がいたようです。病気は一直線に進むわけではなく、一進一退をくりかえし、徐々に進行し、個々の患者によって、症状もその進行過程も、それぞれ異なるということです。
写真は1986年のトリスタン(バイロイト)ですが、初めて見た瞬間、硬さというかそこはかとない無表情を感じました。単なる気のせい、写真写りの問題で、関係ないのかもしれませんけど・・

参照:
伝記 2003年刊
病気と共に生きる
アンナ・マリア・カウフマン談
パーキンソン病とは何か
ペーター・ホフマン・パーキンソン病研究プロジェクト
ラッキーマン
*マイケル・J・フォックス著  入江 真佐子訳「ラッキーマン」ソフトバンクパブリッシング/SB文庫
http://www.mindspring.com/~stsaika/page2.htm

*註)一般に「ローマ法王」と言われていますが、カトリックでは、「ローマ教皇」と呼んでいます。私もこの方が自然ですし、教会としてもこちらの名称を使ってほしいと要望しているとの情報を得ましたので、「教皇」と書きました。


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ヴァラリン

知識としてパーキンソン病のことは知っていましたが、ホフマンが患っているということを知って以来、以前よりもこの病気の記事が目に留まるようになりました。

以前の勤め先で、馴染みのある方がやはりパーキンソン病ということで、日常生活は全て奥様の介助がなければ・・ということでした。年齢的には、ローマ教皇と同じ位だったかな?
奥様は「お父さん、わがままだから・・^^;」と言いながらもニコニコなさってましたけど、大柄なご主人だったので(^^;大変だろうなぁ・・と思ったものです。

マイケル・J・フォックスの翻訳本は文庫になったんですね。こちらでは当然?!原書が読めるわけですが・・なかなか・・^^;
by ヴァラリン (2005-05-10 22:21) 

ユルシュール

えうりでぃちぇさんのサイトでは、この病気についてもいろいろ勉強させていただきました。
そういえば今年に入ってから、読売新聞朝刊の「医療ルネサンス」というコーナーで、パーキンソン病について二度(二週)取り上げていたのを読みました。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/renai/ の2005.1.25~29、4.19~23)
二度目(4月)のタイトルは「パーキンソン病はいま 働き盛りの闘病」です。

私がホフマンの引退の理由をはっきりと知ったのは、二年半ほど前でしょうか、いつもこっそりと覗いていた、とあるサイトの管理人さんの日記に、ホフマンの公式サイトのリンクつきで詳細が書かれていたのを読んだのがきっかけです(今でもそのサイトはあるのですが、引っ越しの際に削除されたのか、その頃の日記はみられないようです)。その何ヶ月か前に、本に「難病のため引退した」と書いてあるのを読んで驚いていたのですが……(さらにそれを読む前には、別の本の記述を鵜呑みにして「完全にロックに転向してしまったのかな?」くらいに考えていました)。
by ユルシュール (2005-05-10 23:01) 

euridice

ヴァラリンさん
マイケル・J・フォックスのこと、
リンク先、中途半端なんですけど、読みやすいのでどうぞ。

私もP.ホフマンの伝記を読むまでというか、読むためにいろいろ調べるまでは、あいまいな知識しかありませんでした。もっとも、今でもよくわかっているとは言えないでしょうけど。

ユルシュールさん、新聞記事の紹介、ありがとうございます。

大変な難病のひとつだと思いますが、社会全体と周囲の人々の理解があれば、可能な仕事は多く、投薬しつつにしろ普通の生活が可能だということです。前ローマ教皇も最後まで職務をまっとうされたわけです。でも、オペラの舞台にたつのは、それこそ無理なんじゃないかと思います。

>「完全にロックに転向してしまったのかな?」
私もだんだんそう思うようになりました・・・が、同時に、病気のことを知るまでは、そのうちオペラに戻るかも・・って淡い期待もありましたけどね。
by euridice (2005-05-10 23:37) 

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