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歌と演技 [オペラ]

前の話題関連です。

オペラやミュージカル、特にオペラでしょうか、では、よく歌唱力と演技力が話題になるようです。歌唱力には声そのものが、演技には、演じる人の容姿や雰囲気がその役に合っているかどうかも含まれるようです。両方が優れているに越したことはないでしょうが、なかなか理想的なことにはなりにくいものです。

バイロイト音楽祭1976〜80のニーベルングの指環のTHE MAKING OF THE RINGのなかで、パトリス・シェローはこう言っています。

「歌手と共に仕事をすることは不可能だと思っていました。歌手に演技をさせることは不可能だと・・・  歌手には演技はできないと考えていました。しかし、今、わかりました。そのことは可能だし、可能なだけでなくて、必要なことです。可能だから、この結果を得ることができたのです。それはとても重要なことでした。これは単なるオペラではなくて、私の世界、つまり、私の演劇です。」


その時、つまりシェロー演出のリング、ワルキューレに関連して、P.ホフマンの 1983年伝記のなかに、こんなことが書かれています。

「俳優もまた、残念なことに、演劇でもこういう固定的区分をする、そして オペラ感覚なんて言うのだが、この演出に魅せられたということを確かめることができた。公演後の女優のシモーヌ・シニョレの最初の言葉、『私は恥ずかしかった』に私はびっくり仰天して、『私が何をしましたか』と尋ねた。そこで、彼女は私にこう説明してくれた。『私たち俳優は演じるために存在しており、私たちだけがそうなのだといつも思っていました。今、歌手もまた演じることができるのだと気がついたのです』それが彼女をなんとなく悲しい気分にさせていた。私は彼女の気持ちがわかった。俳優が私のアリアを歌ったと想像して、それもやっぱりよかったら・・・」

目下公開中のミュージカル映画「オペラ座の怪人」では、歌を吹き替えず、俳優が担当しています。(例外として、オペラ歌手役であるカルロッタの歌だけは、オペラ歌手の歌で吹き替えてあるそうです)私としては、おもしろかったけど、大、大満足というほどではなかったです・・・ 先日テレビで、ミュージカル映画、My fair Lady のヒロイン役が、ジュリー・アンドリュースではなくオードリー・ヘップバーンに決まり、歌は有名じゃない歌手による吹き替えだった経緯について話題になっているのを見ましたが、興味深かったです。

もうひとつ目下公演中の新国立劇場のオペラ「ルル」ヒロイン役、演技はまあいいけど、歌がね〜〜〜と言われているようです。逆に目を閉じているべき・・・なんてオペラ公演もあるみたいですし。難しいものです。

従来、オペラは見るものでなく、聴くものだったのも間違いのないところのようで、P.ホフマンの伝記 にもこんな記述があります。

「ところで、全てが薄暗がりの中だった、以前の演出が思い出される。ウィーンで、カラヤンの『リング』で歌った。カラヤンは、もう長い間、『リング』から離れていたから、ほんとうにその上にはほこりが積もっていた。カラヤンの演出は非常に暗いと言われているが、年によって、担当する助手が変わるから、一部は以前よりさらに暗くなっていると思う。観客に向って堂々と舌を出してみせたとしても、だれにも見えはしなかっただろう。歌手も、そして観客もまた、もっぱら声と音楽によって、感情を表現すること、そして、それを聴くことに慣れていた。そこにまだだれか立っているということは、はっきり言って余計なことだった。俳優が登場して、レコードを流すことができたら、少なくとも外面的には、似たような効果が得られるだろう。より完璧でさえありうるが、それにもまして欺瞞的に、生体験の内的正しさを損なうものだ。劇場の観客が言う至福の時はひたすらこの生体験に負っているのだ。そこには、説明はできないが、絶対に忘れることができない何かが存在していた。」

そして、この伝記を読むと、歌と演技の狭間での、歌手と演出家の確執と互いの歩み寄りの様子がわかります。シェローとバイロイト(1)

追記:昨夜「英語でしゃべらナイト」というTV番組に「オペラ座の怪人」の怪人役とヒロイン役の俳優さんたちが出ていました。ヒロイン役の女優さん、18歳(には見えない)は、7歳ごろからメトロポリタン・オペラで声楽を勉強したけど、ここ5年ほどは歌から離れていたそうです。怪人役は、スコットランドで若いころロックバンドで歌ったりはしたけど、声楽をやったことはないそうです。中村雅俊のインタビュー、おもしろくて楽しかったです。


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ヴァラリン

シェローのメイキング映像は、大変興味深い内容でしたよね。
>歌唱力には声そのものが、演技には、演じる人の容姿や雰囲気がその役に合っているかどうかも含まれるようです

だいたい『いいな~』と思った人は、不思議なことに、どちらも優れていると思えることが多いです。もちろん、ホフマン様はその筆頭ですね^^

容姿はいいに越したことはありませんが、時々そうじゃないのに『いい!』と思えることもあります^^;

例えばベルリンの『コジ』の映像のフェランドくんは、一見ちょっとまるまるしてて、冴えないーーと感じましたが、声がとてもキレイだし、歌の解釈が深いのと(あれだけ歌詞無視の演出なのに、とても心に響いた・・ということは、理解が深いということだと思います)演技達者で、許しちゃうわ~~という気分にさせられました^^;

こういうのは『声と雰囲気』が役に合ってた・・ということなのかもしれませんね。
by ヴァラリン (2005-02-15 22:33) 

euridice

>ベルリンの『コジ』の映像のフェランドくん
私も好きですよ〜 <フェランドくん>って雰囲気で、存在感ありますよね! (何も美男である必要はないんですよね〜〜 美男でもかまいません、念のため(^。^ )
by euridice (2005-02-15 22:50) 

TARO

カバリエが一番好きな私としては、どうすれば・・・(笑

声・歌がカバリエ・クラスだと、何でも許せてしまうんですが、それはおいておいて、声・歌唱・演技・容姿の4拍子が完璧に揃っていると感じたのは、トゥルデリーゼ・シュミットとワルトラウト・マイアーでしょうか。
by TARO (2005-02-16 00:02) 

euridice

カバリエって美人だと思ってますけど・・・^^
映像でしか知りませんけど、ノルマ、トロヴァトーレ、存在感抜群、違和感全然ありません。
>4拍子が完璧に揃っていても、これも映像ですけど、マイヤーのイゾルデ、ジークリンデは、マイヤーって感じで好きじゃなかったです^^; 
by euridice (2005-02-16 00:28) 

TARO

カバリエの「ノルマ」と「トロヴァトーレ」は素晴らしいですよね。たしか「トロヴァトーレ」の方の宣伝文句に『カバリエは神のようだ』とか書いてありましたけども、まさしく!

マイアーはソプラノ・ロールだからでしょうかね(?)。一番強烈なマイアーの思い出は、チャイコフスキーの「オルレアンの処女」のジャンヌ・ダルクを見たときで、とんだり跳ねたり転がったりのクプファーの過酷な振り付けを完璧にこなして、歌も全く乱れが無い恐るべきものでした。
by TARO (2005-02-17 00:15) 

euridice

へ〜〜 >チャイコフスキーの「オルレアンの処女」
生でご覧になったのですか。テレビで見たことがありますが、もちろんマイヤーじゃないです。彼女だったらずっとおもしろかったかも・・・
by euridice (2005-02-17 00:22) 

TARO

少女って書くつもりが、処女になってました。すいません。(フロイト的誤謬ではありませんから。絶対に!)

マイアーのやつはクプファー演出だったので、彼女だけでなく全体に凄く面白かったです(バイエルン国立歌劇場、ゲルト・アルブレヒト指揮)。
(後ほど「トリスタン」の方にTBさせていただきますので、よろしく。)
by TARO (2005-02-17 23:53) 

euridice

処女には違いないですから・・か^^;全然気がつきませんでした。
ジャンヌ・ダルク、すったもんだの挙げ句(かどうか真相は知りませんが)列聖されて、聖人ですね。

あれを凄く面白くするのって凄いと思います。見たい・・・です。
by euridice (2005-02-18 10:35) 

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