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1981年バイロイト音楽祭 [ルネ・コロ自伝]

1『それでも、ライラックはなんと良い香りがすることか』
バイロイト音楽祭 ポネルのトリスタンpp.169-172

 1981年、二年振りに再びバイロイトに来た。すでに書いたが、ミュンヘンでのエヴァーディングとのトリスタンが終わっていたので、暇だった。今度のトリスタンはバイロイトのヴォルフガング・ワーグナーの依頼で、ジャン・ピエール・ポネル演出、ダニエル・バレンボイム指揮だ。

 ポネルは当時世界的にひっぱりだこだったオペラ演出家だったが、私はまだ共働したことがなかった。そこで、リハーサルの前にミュンヘンで会って一緒にお昼をした。彼は演出上の考えを少し話してくれた。二時間後、私たちは満腹し、それぞれ満足し、二人とも、この公演が楽しみになった。

 こうして、夏には大好きなバイロイトに再びいたというわけだ。二年行かなかった間に、大勢の新しい歌手たちが加わっており、たぶんだれも私のことを知らなかった。本稽古はうまくいったが、初日は全くの期待外れだった。

 うまくいかなかったことはむしろ励みになり、私を発奮させ、今度は完璧にやろうと意を強くした。私にとってただ受け入れられることほど退屈なものはない。その場合、すべての喜びはすでに過去のことだ。とにかく丸一日かかる本稽古では本格的には歌わなかったが、ゲネプロはそうはいかない。しかし、初日に備えるために、ゲネプロでも全部を感情を込めて本格的には歌いたくはなかった。こうすることは、バイロイトでトリスタンをカットなしで全部通して歌うときには、特別に重要だ。1980年、初トリスタンだったチューリッヒでは、有名な『Tag- und Nacht-Sprung』がカットされた通常の版を歌った。このカットはワーグナーも認めている。(バイロイトでは全ての役をカット無しで歌った)

チューリッヒでの経験から、トリスタン役は粘膜がひどく乾いてしまうことがあるということがわかった。そういうわけで、バイロイトのトリスタンの準備では天才的なことを思いついた。舞台担当職員に言って、三幕の二カ所、演出の希望によって私が倒れなければならないところの、舞台の床下に、自転車乗りが持っているような水のボトルを埋め込んでもらった。すべてのボトルに小さな穴を開けて、それぞれ緑色のストローを差し込んだが、草のように見せた舞台では全く気づかれなかった。そうして、例えば三幕でクルヴェナルが歌っている間に、その水によって、すばらしくさわやかな気分になり、声も回復することができた。

 この種の妙案は私だけが思いついたことではない。カルーソーは衣装に小さな瓶を幾つか隠した。その中に普通の塩と油と水を混ぜたものが入れてあった。声が枯れたら、気づかれないように、観客に背を向けて、極めて優雅に瓶の中のものを喉に流し込んだ。ヴォルフガング・ヴィントガッセンもその種の作戦を話してくれた。彼は、もちろん私もだが、長年世界中の舞台をそうしたちょっとしたことで切り抜ける方法を心得ていた。彼は舞台にいる間ずっとガムのようなスグリ味の飴をほっぺたの片方に入れて、恒常的に少量の水分が酷使されている喉に注ぎ込まれるようにしていた。(しかし、これはバイエルンのリビニという名前の飴でなければだめだ。というのは、ほっぺたの裏にしっかり吸い付いたみたいになって決して動かないのはこの飴だけだからだ)それから、私の新人時代からの魅力的な相手役ゲルティ・ツォイマーはトラック一台分の丸いのど飴をなめて、そののど飴みたいにぽちゃぽちゃになった。

 一部の歌手ともめたにしても、ポネルとバレンボイムとの練習期間は私のキャリアの中で最高だった。気楽にのびのびできた。何度か、ポネルは私が彼の演出意図に従っていないことに気がつくと、自ら私のところにやってきて、家に招待して、問題点について話し合った。彼はワインを飲みながら、私の反論に心を開いて耳を傾けた。そして、幾つかは彼にとっても納得がいったように見えた。私は少なくともその時まで、主要キャストとオペラについて楽しく語り合い、その考えを考慮する演出家に出会ったことがなかった。自分のやっていることをほんとうによくわかっている芸術家だけが、寛大かつ賢明な態度をとることができる。

 ポネルはすでにミュンヘンで会ったときに、このオペラの結末の新しいアイディアのことをほのめかしていた。これは私の解釈と完全に一致していた。彼は、トリスタンの死後、イソルデを登場させないつもりだった。

 最後の幕で、トリスタンは彼の周囲の出来事はすべて高熱による幻覚、いわば、昏睡状態における夢だと思っている。その結果、観客は古びた大作オペラに改めて対峙させられることになる。すべてはまさに考えであり、哲学にすぎない。全ては超越的になり、永遠の宇宙に溶け込んでしまう。マルケ王とブランゲーネを乗せた船の到着、全ての戦闘の叫び声、クルヴェナルの死などはもはやまったく存在せず、いわば、ただ単に時間が経過しているにすぎない。

 私は、ワーグナーが五十年長く生きていたとしたら、あの最後のところは全く書かれなかったであろうと確信している。当時はオペラの結末は従来の様式に従って作曲しなければならなかった。しかし、今なら彼はあらゆることを、超越的かつ形而上的領域の中で経過させただろうし、何であれ現実的必然性に配慮することはなかっただろう。おそらく今日天上の響きと言われているのと、かなり似たような音楽的手段を使っただろう。

 残念なことに、ポネルはゲネプロの直前になって、通常の演出と異なる結末にすることに決めたので、その考えを完全に実行に移すには遅すぎた。ヴィーラント・ワーグナーも、その祖父の作曲した結末で、似たような困難を経験している。彼はトリスタンの死の直後にイゾルデの愛の死、「穏やかに静かに」をつなげたいと常に思っていた。
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