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14章 ペーター・ホフマン -16/16 [WE NEED A HERO 1989刊]

14章 おじいちゃんのオペラは死んだ:
ペーター・ホフマンと総合芸術の仕事


   ペーター・ホフマンは、まだキャリアの中期にあって、まだ手がけていないワーグナーのヘルデン・テノール役を歌おうとしており、そして、新しいオペラ、ロック、ショー音楽、映画などを探究しようとしているけれど、彼の業績はすでに歴史的遺産であることは間違いない。どのような形で人々の記憶に残りたいと思うかというミヒャエル・レーネルト Michael Lehnert の質問に対して、歌手は、オペラを変えた世代の一員と思ってもらいたいと答えた。ホフマンが、歴史上、最も天分豊かな夢のようなヘルデン・テノールのひとりと呼ばれるようになることは、確実だと思う。歌手の技量は、声楽的にも、様式的にも、そして演劇的にも、英雄役の伝統の中でひとつの分岐点を成している。
   ペーター・ホフマンの声は真性テノール echt Tenor と重いテノール schwer Tenor の響きが完璧な融合を見せている。広範囲にわたる音域、継ぎ目のなさ、音色の複雑で多様な表現力など、ホフマンの声は、輝かしさとバリトン的響きの両方を扱うことが可能だ。その歌唱スタイルは、清潔感あふれる、さわやかさを縦糸にして、そこに豊かな豪勢さと装飾のセンスの良さが加わる。ホフマンは、シュノール Schnorr の流れをくみ、19世紀のベル・カント的ヘルデン・テノールの伝統を受け継ぐ、理想的にぴったりと当てはまる存在の化身したものだ。勢い、規模、華やかさ、かろやかで抒情的な音の出し方ができる才能がある。しかし、また、戦後のヘルデン・テノールの室内音楽的繊細さと合わせて、洗練されたドイツ的レガート(この専門分野のための)というメルヒオール Melchior の伝統の良い部分をも継承している。このような中で、彼は、最良の伝統的要素を混合して、全体としては独自の応用範囲の広い声の様式を採っている。
   ホフマンはこの分野のレーパートリーで一流の主要な歌手として席巻している。彼は、人為的に分離された、抒情的な声と英雄的な声、そして、ポピュラー音楽とクラシック音楽を隔てる、技術的かつ様式的な障壁をぬぐい去ろうとしている。音楽の価値と作品固有の本来的響きに対する尊敬の気持ちを人の心に知らぬまに忍び込ませつつ、聴き手の嗜好範囲を拡大し、何に耳を傾けるかの決定は、分類表示ではなく、音楽の質のみに基づくべきだと教えている。クラッシク音楽とポピュラー音楽の両方の多様なレパートリーによって、あらゆる年齢層、さまざまな気質の人々を含む広範囲で多様な背景をもつ聴衆を開拓してきた。オペラ愛好家を誘って彼のロック・コンサートに参加させたように、オペラ・ハウスにも新たな観客をもたらし、そこでは、古色蒼然とした役柄に対する、彼の新鮮で生き生きとした、今日的意味をもった解釈は、深い感動を与え、新たな心の琴線に触れた。
   ペーター・ホフマンは、他のヘルデン・テノールのだれよりも、英雄的な役を歌う歌手に対する固定観念を壊し、見かけの上でも、個人的流儀の面でも自分のイメージを新たに創り上げ、ヘルデン・テノールの新たな理想形を生み出した。すなわち、すらりとした、スポーツマン・タイプで、視覚的に際立っている。誠実な人柄、気がおけない、独立心が強い、自分の考えを明らかにする、そして、血の通った人間。実際、歌手がオペラの英雄の概念を革命的に変革するのに利用した、彼が発散する魅力に不可欠なものが、こういった人間らしい側面である。19世紀の英雄を、現代的に焼き直すに際して、ホフマンはその神話的永遠性を、現代的感受性に変換した。歌手のすばらしい演奏は昔の英雄を、反逆者、アウトサイダー、寛大な救済者、傷つきやすく思いやりに満ちた人間といった、新たな典型的人物に作り直した。ホフマンは、オペラの伝統であるおとぎ話的物語を保ちつつ、写実的な様相を増幅して伝えた。伝統的な英雄の輝かしさや理想的な美しさを維持する一方で、演奏に独自性と型にはまらない新しさを醸し出している。その結果、彼の演奏は他に類をみないものになっている。
  歌手の、舞台と観客の間に興奮の渦を巻き起こす才能は、ヘルデン・テノール史上には、事実上匹敵するものがない。エネルギーあふれる音の震動のうちどんなにささいなものであれ、全てが彼の声と演技の要素である。内奥から派生して観客に到達するや否や、劇場での演劇的体験を、参加体験に変える官能的な音と演技。ホフマンにとって、歌うことは、オルフェが成した不思議を再現する行為なのだ。彼にとってオペラは、演者と観客が、感情的な絆を共有する、終始一貫した完全な演劇でなければならない。ホフマンの手にかかると、音楽劇は、まさにワーグナーが望んだものになる。すなわち、言葉、台本、演技の完全な統合、内面的なドラマと外面的なドラマが結びついて一体となる。
   デッカの有名な録音プロデューサーであるジョン・カルショー John Culshaw がかつてこう述べた。ある芸術形式が生き残るかどうかは、ひとつには、ある特定の時代における存在意義があるかどうか、またひとつには、コミュニケーションが成り立つように適応できるかということにかかっている。 カルショーの前提条件を受け入れるなら、ペーター・ホフマンこそは、私たちの時代においてオペラを生き延びさせることができる歌手のひとりであると確信を持って言うことができる。ヘルデン・テノールの歴史が今までに経験した、最大の徹底的な変化のいくつかは、ホフマンが歌う役者として、最初に引き起こした。彼の斬新な舞台動作と映画的リアリズムによって、英雄的演技においてはこれまで未知のものだった自然さを導入した。そして、その結果、オペラの質と分かりやすさに対する観客の期待値を永久的に変えてしまった。
   このように、ペーター・ホフマンはヘルデン・テノールの分野に、全面的に生気を吹き込み、活性化したと言っても言い過ぎではない。神話と現代の現実を結びつけ、新たな演劇的標準を創り上げた。彼はこのレパートリーの特殊性と普遍性を共に肯定し、声楽のテクニックと様式によって現在を過去と結びつけた。ペーター・ホフマンは、総合芸術作品というワーグナーの理想を現実のものにしたのだ。ホフマンの芸術において、この言葉は普通以上に重大なこととして受け止められている。この総合芸術作品は、実現可能な純粋に審美的なものであるというだけでなく、完全に体験し共有できる音楽劇の理想像なのだ。
   ペーター・ホフマンにとって、歌うことは危険を覚悟の冒険であって、予期せぬ危険に出遭う可能性も、たぐいまれな報いを得る可能性もある。演じる事は、感覚的喜びであると同時に、人間的感覚を超越した、魂を解放する、超自然的な喜びである。ホフマンにとって、音楽における、この開放感と喜びこそが、聴衆に受けとってもらえる贈り物であり、歌手に与えられる贈り物なのだ。歌手も聴衆も共に、この世の、はかなく、微妙で、最高に強烈な美を感じることができるということだ。彼は言う。
自由落下しながら飛ぶこと --- 飛ぶこと、この人間には根本的に不可能なことをすること --- 地球の重力にひっぱられることなく、鳥のように大地から完全に離れる瞬間。自由でありながら、頭のてっぺんからつま先まで制御されている。落ちていくこと、飛ぶこと、何も隠さずすべてをさらけ出すこと。歌うことは、うまくいったときには、この体験と似ている。
* * * * * ch.14 おわり * * * * *

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