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14章 ペーター・ホフマン -14/16 [WE NEED A HERO 1989刊]

14章 おじいちゃんのオペラは死んだ:
ペーター・ホフマンと総合芸術の仕事

ポピュラー音楽、あるいはロック・ミュージック

   ペーター・ホフマンのレパートリーを研究するなら、彼のロック・ミュージックを無視するわけにはいかないだろう。(こういうことを言うと眉をつりあげる人たち
には、ホフマン自身の非常にわかりやすい、「良い音楽と良くない音楽があるだけで、カテゴリーではなく、その音楽の質が違いを決めるのである」という意見を引用させてもらいたい。また、スレザークもメルヒオールもコロもみんなポピュラー音楽を歌っていることにも気づいてもらいたい。ただし、誰一人、ペーター・ホフマンの半分もよくない) ホフマンにとって、ロックやポップ・ミュージックは、歌手の他の多くのレパートリーのうちで、芸術歌唱と同じ位置を占めている。実際、ホフマンにとって、ロックは今日の歌曲Liederなのだ。すなわち、音楽の歴史を築いてきたクラシック歌曲と、現代の精神に語りかけるクラシック歌曲があるということだ。
   ペーター・ホフマンのロックを巡る批評には、多くの問題点が浮上する。ロックにクラシックという語を当てはめられるのか。また、もしできるとして、ホフマンのクラシック・ロックは単なる物まねなのか、それとも、独立して成長しうる再創造的取り組みなのか。訓練された声がポピュラー音楽を、それにふさわしく、それらしく歌うことができるのか。あるいは、彼の歌唱はいわゆる「クロスオーバー」音楽なのか。この本はこういう問題を深く論じるものではないとしても、多少の回答は提示するべきだろう。ホフマンは「クラシック」という用語を、いかなる種類の音楽であれ、演奏し続ける価値のある音楽という意味に理解している。ホフマンにとって、クラシックはすべての世代に存在する。ベートーベンだったり、「リング」、あるいは、ロックであったりする。そして、彼は、いわゆるクラシック音楽と現代音楽の和解をもたらし、両ジャンルの音楽の過去と現在の名曲の生きた宝庫を残そうとしている。だが、優れた芸術家ならだれでもそうであるように、ペーター・ホフマンのロック歌唱(そういう意味では彼のオペラ歌唱も)単なる物まねではない。ポピュラー・ソングの、彼の編曲と様式化をオリジナルと比べると、彼がもたらした個性的な創造性の深さがわかる。(実のところ、彼が特にロックに価値を認めるのは、こういう創造の余地故なのだ。なぜならば、オペラ生産の場には、こういう創造力を生かす機会がないことが多いからだ)彼は、ロック・ミュージックの伝統のなかで、まさにオペラの伝統の中で彼がやっているのと同じことをしている。つまり、様式的に必要不可欠なことを学び、その音楽独自の特性をマスターするが、過去の演奏家を無批判に模倣しない。その音楽を消化吸収し、その様式を逸脱しない限界内で作り変え、その後に、聴衆に変化に富んだ新たな音楽的体験を提供する。彼が訓練された声を持っていることは、ポピュラー音楽における彼の成功の妨げではない。というのは、ポップスをまるでグランド・オペラのように歌っている多くのオペラ歌手仲間と違って、ペーター・ホフマンは、その時々の素材にその声を順応させる。すなわち、声量、母音の配置、リズム、フレージングを調節しているし、言語的に完璧に熟達している。(彼の歌の多くは全くなまりのない英語で歌われている)それに、ポップスでは許容される、実験的な試みや音楽的なルバートをためらわない。ロック歌手のホフマンは、あの上品ぶったジャンル、まさにホフマンの芸術と哲学が否定している境界をほのめかす新たな名称であるクロスオーバー・ミュージックの従事者ではない。ポップスをやっているとき 、ホフマンは、自らを「スラミングしているもの」とはみなさない。他のオペラ歌手は時にそのように見える。そうではなくて、ホフマンは、彼のロックを、心の底から好きな独自の表現形式として扱っており、そのための非凡な才能を有している。
   ホフマンの段階的に発表されている七つのロックあるいはポップス・アルバムは、発展的挑戦を示している。最初の(ロック・クラシック)Rock Classics(ロック・クラシック  1982年)は、英語の名曲を集めている。二番目のPeter Hofmann2(ペーター・ホフマン2 1984年)は、新旧のバラードと自作のミニ・カンタータであるIvory Man(アイヴォリー・マン)が収められている。Bernstein on Broadway(ブロードウェイのバーンスタイン 1985年)は、デボラ・サッソンと共にナイトクラブのショーにおける表現形式を探究している。1985年のUnsre Zeit(我らの時代)はドイツ語による新しいロック。Peter Hofmann Live '86(ペーター・ホフマン ライヴ’86)は、彼の大ヒットしたツアーの雰囲気を伝える。Rock Classics II(ロック・クラシックII 1987年)はいくつかのスタイルのアメリカのスタンダード・ナンバーをより広い見地から集めている。そして、一番新しいMonuments(モニュメント 1988年)では、未知の分野に分け入った。新たなリサイタルの素材を創り上げることによって、クラシックとポップスの説得力のある融合を達成している。
   ペーター・ホフマンのポップスやロックに対する嗜好は折衷的である。エルビス・プレスリー、ビートルズ、その他の重要なロック作品、カントリー・ウェスタン(country western songs)、スピリチュアル(spirituals)、フォーク(folk ballads)、キャバレー・ソング(cabaret songs)、新しい曲 - 原曲と権利取得によるもの - を広く含んでいる。彼が気に入っている作曲家も、ジョン・レノンから、ポール・サイモン、レナート・バーンスタイン、ビリー・ジョエル、彼のドイツ人仲間であるローランド・ヘック Roland Heck とゲルド・ケーテ Gerd Koethe まで、非常に広範囲に渡っている。彼のポピュラー音楽制作は、ジャズ、ソウル、50年代と60年代のロック、ブロードウェイの曲、電子音楽electronic music、さらには、クラシックの交響曲にさえ、その根を下ろしている。ホフマンにとって、音楽作品の質は、メロディーとハーモニー、効果的な声の流れ、そしてなによりも、その表現性と人の心に触れる力、こういうものが、確実に創り出されているかどうかによって決定される。そして、彼の広範囲な嗜好性にも関わらず、個々の作品の規範に対して敏感である。ホフマンは、聖杯物語と、ラブ・ミー・テンダー Love Me Tender のどちらを歌っても、各作品の独自性を彼が尊敬し、尊重していることは常に明白である。その作品特有の音楽的要求に対する明快な理解、ひとつの歌に内在する美しさを引き出そうとする熱意、演劇的存在としてのロックやポップスの歌Liederを伝える才能などが、ホフマンのポピュラー音楽の演奏者としての特徴である。
   ホフマンの今なお成長し続けているポピュラー分野には、無数の歌が存在しているが、彼のロックの歌声の中から、いくつかの宝石に注目すれば、彼の全レパートリーの広がりと、彼の演奏の多様性を洞察できるだろう。
   ブロードウェイのキャバレー歌手としては、親しみやすさと演劇性に恵まれている。バーンスタインのウェスト・サイド・ストーリーから抜粋した音楽の録音に接するとき、Bernstein on Broadway(ブロードウェイのバーンスタイン 1985年)におけるホフマンとサッソンの演奏ほど、すばらしい録音は存在しないと言っても過言ではない。オリジナル・キャスト・アルバムと比べてさえそうだ。ホフマンは必要不可欠なジャズのリズムに対する完璧なセンス、欠点のないディクション、息をのむほど美しい最弱音 pianissimi と官能的な色合いを伴う優雅な抒情性を示している。そして、テノールの高音域を楽々と自由に操っている。マリア(Maria)は、喜びにあふれた調子で歌われ、それが永遠に続くように感じられて、いつまでも耳に残って忘れられないほど、軽やかな高い最弱音で終わる。クール(Cool)は、挑発的で生意気な感じだ。サムウェア(Somewhere)には、本当の対話のような演劇的な強度と、その理想主義を納得させる輝きがある。ミサ(Mass)のシンプル・ソング(Simple Song)で、テノールもソプラノも、この聖歌に要求される純粋な音色を表現している。オペラとバーンスタインの劇作品は、類似性が強いとも言えるし、同時に微妙に異質であるとも言える。だから、この音楽の真価であるユニークさを表現するためには、ホフマンたちのような、こういう微妙さを自由に扱える熟練した歌手たちが必要だ。
   バラード歌手としても、ホフマンは天性の腕前を披露する。彼は伝統的な英語のフォーク・バラードでも演劇的な語りでも、同等な気楽さを見せる。彼の、キャット・スティーヴンス Cat Stevens のMy Lady D'Abanvilleの技巧的な演奏は、この静かな曲を、オリジナルのフォーク形式を超えるものにしている。編曲部分を挟むことによって、単純な伴奏無しのメロディーから、ロックらしい複雑なハーモニーを持った曲に変わっている。彼の透明感のあるディクションと本物のテノールの音色はその歌の音楽的進行に繋がる連続性をもたらす黄金の糸となっている。The Gamblerといった南西部のバラードで、ホフマンはこの歌にまつわる挿話の世界を完全に構築する。演劇的独白の単刀直入さを伴ったメロディーを伝え、その地域独特の鼻声や地方色を正確に表現する。ホフマンはまた、Salty Dogのような海のバラードには、不気味で耳障りな不協和音と強烈な感情的傾向を与えることができる。それによって、力強い演劇的物語が生み出される。彼は船乗りの何かに取り憑かれたような声を出すことができるから、詩の輪郭の骨組みからほとばしる多彩で微妙な変化と陰影を感じ取ることができる。
   カントリー・ウェスタンという表現形式において、ホフマンは、ゆっくりとしたものうげな調子の語りの雰囲気を出すことができるのと全く同じように、そのうねるようなリズムと鼻にかかったなまりを完璧に再現することができる。例えば、Please Come to Bostonは、細部に渡る豊かな表現がぎゅうぎゅう詰めになっていて、各節が歌手の旅の縮小された一章みたいだ。
   スピリチュアルの歌い手として、ホフマンはその土地に生まれ育ったネイティブの歌い手たちにある「黒い響き」がないと批判されている。しかし、こういう見方は「霊魂 soul」という語を、限定的に解釈しているように思われる。この極めて宗教的な音楽で、ホフマンは「 霊魂 soul」という語の真の意味の核心を成す情熱と友愛の情を引き起こすことができる。彼の豊かな、力強い声が、He Ain't Heavy, He's My Brotherの中で、リード・ゴスペル・シンガーの白熱感で歌い上げるとき、テノールのすばらしいリズム感とこの歌の源が19世紀にあるという特殊性を超えた普遍性を伝える彼の才能に気づかされる。だから、ホフマン版のSailingも、苦悩から、神の愛と人間的な愛に対する信仰へと旅路を辿るさすらい人の独白になるのだ。ジョン・レノンのLet It Beでさえ、ホフマンの手にかかると現代のスピリチュアルになる。彼の澄んで軽快な感情の起伏に富んだ抒情的な長い輪郭線とくつろいだ雰囲気のフレージングによって、彼は単純で力強い肯定的メッセージを際立たせる。
   ホフマンはまたより古いポピュラー音楽にも興味を示す。1930年代と1940年代の、大がかりなバンド・スウィング・ミュージックである。つぶやくような歌い方ではなく、甘美で流暢な優雅さで歌われる、彼のまろやかなコール・ポーター Cole Porter 的You're a ladyが、優れた一例である。
   ホフマンがロック・シンガーとして、一番有名なのは、多分、エルビス・プレスリーの歌の再創造によってだろう。実際、彼のポップス歴はこの分野から始まり、この分野に深く関わり続けている。(エルビスは我々にとって崇拝の対象であると、ホフマンは聴衆に語っている)ホフマンは、「王たる」エルビスよりずっと豊かなフルヴォイスで、昔懐かしい曲に新しい性格を付与する。ホフマンの朝日の昇る家(House of the Risisng Sun)の持つ、人の感性に訴えるエネルギーは、彼がこの歌を初めてレコードとテレビ番組Hofmanns Trauemereien(ホフマンの夢)で歌ったとき、ドイツの聴衆を嵐に巻き込んだ。テノールは黒の衣装を着て、後ろから光りを当てたので、強烈な眼光だけがぎらぎら輝いていた。彼がマイクをぐいっとつかむと、そのライオンのように挑発的な動きに伴われて、攻撃的な音の洪水が押し寄せた。ホフマンの声は、うなり声、いとおしむ感じ、そして、高らかに響く音色から、その内奥からわき起こる貫き通すような叫び声へと、けだるく、ものうく発展しつつ、くすんだ感じになったり、地声になったり、セクシーになったりと代わる代わる、めまぐるしいほどに変化する。ホフマンは、朝日の昇る家(House of the Risisng Sun)でも、監獄ロック(Jailhause Rock)と同じように、荒れ狂い、むせかえるニューオリンズの熱気を、その演奏のエロチックな熱狂で彷彿とさせる。彼の歌は、音と抵抗し難い視覚的魅力を伴う身体表現が融合した、荒々しく生々しい創造活動だ。この二つの歌のあらわで、生々しい感情表現と野性的な強いリズムの対極として、エルビスのトレードマークである有名な、Love Me Tenderは、歌曲(Lied)のように歌われる。究極の誠実さと優しさを備えた声で、無伴奏で歌うとき、ホフマンの痛切な歌が、ひとりひとりの心に触れているような感じがする。
   母国語でポピュラーを歌うことで、ドイツの聴衆に彼の魅力を直接的に伝えるという側面が加わる。1985年のアルバムUnsre Zeit(我らの時代)の個性的な珠玉(おおくはHeckとKoetheの作品である)のひとつひとつが、バラード形式に作曲された、ロックとジャズのリズムで縁取られた現代の吟遊詩人の詩だ。まとめられたものは、実質的に、時という複数の顔を持ったテーマに関する一連の瞑想になっている。ホフマンは、有名人であるがゆえ、ますます貴重なものになった時というものの、連続的でありながらつかの間のはかなさを探究する過程で、変化する様々な人格の仮面を身につける。ホフマンは、ひとつひとつの音による詩を、小さなドラマに仕立て、表情豊かに、現代的状況下における人間の心を探究する。中でもその感情的衝撃度と旋律線の明瞭さが際立つのがテノール自身が作曲したWenn ich ein Niemand warだ。この中で、歌手は自分の本質が愛されることを求めている。
   しかし、ホフマンのオリジナル作品のなかでもっとも印象的なのは、彼のロック・ファンタジー、Ivory Manだ。これは、彼が「台本」を構想し、デボラ・サッソンがセンスのいい、高尚な英語の詩を書き、ローランド・ヘック Roland Heckと ゲルド・ゲート Gerd Koetheがその歌詞を複雑な楽譜に整えた。対話と説明から成る、このミニ・ロック・オペラは、宇宙飛行士の物語だ。アイヴォリー星が核兵器で滅びたあとに、たった一人生き残った宇宙飛行士が、滅亡の危機に瀕する地球にたどりつき、同じ運命から人類を救おうと努力する。この作品は複雑な構成を持っている。つまり、五つの声部に分かれていて、主導歌手と合唱の対話として演じられる。音楽は聖歌、スピリチュアル、フォーク・バラード、律動的なロックが織り交ぜられている。ホフマンは、愛は不可解なことではないこと、そして、だれもが自由なものとして生まれた、そのままに、だれもが自由な世界を創り上げることができると信じるキリストに似た、親切な救済者である中心人物を歌い、その関わり方によって、この作品の深い衝撃的な意味を納得させる。Ivory Manで、ホフマンとサッソンは、その歌の才能で現代的問題に立ち向かい、同時代人に向けて心から話しかけ、仲間である人々に、正気を保ち、愛と非暴力の哲学を受け入れるよう迫る。テノールが1984年のツアーで、このカンタータを歌ったとき、聴衆は手を取り合って、彼とともに、Paradise Shuffleを歌った。ホールの雰囲気は幸福感にあふれ、Ivory Man(アイボリー・マン)の予言する理想は単なるファンタジー以上のものになりうるのだという希望が目の前に見えているようだった。
   ペーター・ホフマンはその最初の六つのポピュラー・アルバムのひとつひとつにおいて、自分の時代の歌をクラシックにしようと考えている。その七番目にリリースしたモニュメント Monumentsで、ある意味、初期の試みではレコードのB面的に見なされている基本路線に真っ向から取り組んでいる。モニュメント Monumentsでは、原曲に、現代的表現法で作られた変奏曲を移植して、クラシック音楽を大衆化しようとする。その結果、音楽的にも歌詞的にも革命的な融合を果たした、激しく鋭い議論を呼ぶアルバムができあがった。古いクラシック音楽を新しいやり方でする、ホフマンの演奏は、単に、編曲してポップスらしい詩を付け加えた以上のものを生み出している。実際のところ、それらは全く新しい創造的表現形式になっている。前時代の音楽は新しい曲--- 主題の変奏曲と言ってもいい ---を書くために、 役立つ主題を与える素材として求められている。つまり、モーツァルトのバッハ変奏曲と同じように有効であるし、ホフマンのクラシック・ポップスの全ての作品と同じように音楽的に刺激的である。時に、これらの変奏曲は、忠実に演奏されるクラシック作品に、たとえば、古いアリアに技巧的で、新鮮なカデンツァを付け加えるという形を取っている。また、時には、旋律と歌詞の両方を含めての聴覚的次元を増幅させるために音楽に詩を加えたりもする。多くは、原曲に対する良心的態度によって、原曲に非常に忠実でありながら、同時に原曲から根本的に逸脱している。人当たりのよい穏健なクロスオーバー・ポップスでは、決してない。イージー・リスニング的クラシック音楽でもない。そうではなくて、時代を超えたテーマを扱った独特の再創造作品であり、生きているクラシック音楽の、ホフマンによる定義を、まさに耳で確認できる形で示しているアルバムだといえよう。
   このアルバムに収録された八つの歌は、すべて愛に関係があり、それが重層的に表現される。神聖な愛、人間的な愛、喜びにあふれた愛、悲しい愛、個人的な愛もあれば、集団的な愛もある。ホフマンは様式感のある、めくるめくような声で、彼の独自性の非常に強い、凝縮度の高いアルバムのうちのひとつと認められる作品を創り上げている。そこにはすばらしいメッセイージが一貫して込められている。すなわち、ベートーベンの「人間は互いに愛し合うべきものだ」という言葉に含まれるメッセージである。しかし、そこにはまた、型破りの選曲から生まれる卓越した音楽的一貫性が存在する。電子楽器と伝統的な楽器が、現代的オーケストラとして融合している。複数の声楽的スタイルも混ぜ合わされて驚くべき調和をみせる。音楽的正確さと果敢な再創造が併置されている。モニュメント Monuments、敬虔であると同時に聖像破壊的である。伝統に敬意を払う一方で、伝統に反逆している。鋭いレーザー光線で音楽間の壁を粉砕している。晴れやかに輝かしく、コンサート会場を良い音楽はひとつの言葉を歌うというペーター・ホフマンの信念を強烈に証明するように、深い感動で満たす。
   レコードでは、前にも述べたように、さらにトスカとリゴレットのアリアのための巧みに考案されたカデンツァに加えて、ベートーベンの喜びの歌とバーンスタインのサムウェアの新たな編曲も歌っている。第九交響曲の音楽で、ホフマンはよりゆっくりしたテンポと英語の歌詞を選択して、聖歌的単純さを優先するために、ベートーベンのオーケストレーションの壮大さをある程度放棄している。彼の本物のテノールの声は合唱が喜びに満ちて舞い上がるのを数回に渡って助長する。ルバートをかけるわずかな機会を楽しみ、確かな、オペラ的高音で締めくくる。歌唱スタイルは、フォーク的聖歌からクラシックのコンサート・アリアまでの広がりの中で展開され、木管楽器群による純粋な昔の音楽の響きを強調するキーボードとパーカッションの混合的な楽器使いは、時代を超えた人間の兄弟愛を歌い上げる説得力あふれる新しい曲を生み出している。バーンスタインのサムウェアで、ペーター・ホフマンは、シンセサイザーのクレッシェンドと重いパーカッションで前奏を始め、place for us(私たちの場所)のイメージが想起されるときに、彼のピンと張った鋼のようなヴォーカル・ラインが、やっと穏やかに静まるという方法を採っている。豊で、まろやかな音色を、時にセクシーな黒人的響きに結びつけ、ゆっくりとしたテンポから、快活で激しいテンポへと変化する。非常に正確に精巧に造形された、心から納得できる願いを伝えようとして、彼が生み出すジャズ的なリズムと滑らかなレガートのリズムが交互にアクセントをつけて雄大に響く。
   このレコードにはまたクラッシック音楽にポピュラーの詩をつけた三つの曲が入っている。なかでも最も強い印象を与えるのが、ホルスト作曲のThe Planets(惑星)から、木星の部分の最初の二つの動機に詩をつけたJoybringer/Sunrise(快楽の神〜木星)だ。ホフマンの最初の動機では、シンコペーションによって、二番目の動機では、対照的にゆっくりとした抒情的なテンポをとることによって、音楽的に明らかに変化が生じている。この希望への情熱的なメッセージのために、ホフマンは光沢のある朗々とした音色を当てている。ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番のアダージョの主題では、E.Carmen の詩、All By Myselfで、壊れた関係と失われた時が、鼻にかかったバラードとして、歌われる。ホフマンにかかると、歌い手、つまり語り手が、痛切な感動を呼ぶ、実在の、孤独な老人として実際にそこに浮き上がって見えるように、歌は、効果的に性格づけて表現される。その低く太く、セクシーで、悲しげな、完璧なSprechgesang(話すように歌うこと)の抑揚は、人間の感情の思いつく限りの微妙に変化する色合いを生み出しており、だれもが納得してしまう。ショパンのプレリュード第20番ハ短調による、Barry ManilowのCould It Be Magicでは、ホフマンのロマンチックな声が、楽器群の醸し出す旋律の連続性を維持している。ここでは、キーボードとギター伴奏から、伝統的オーケストラ編成までの楽器が用いられ、キーボードとギター伴奏によるフォーク・バラードから、伝統的オーケストラ編成によるロマンチックなジャズのテンポまでの、変化に富んだ強弱感を生み出している。そして、そこに旋律のはっきりした声の流れが重なる。この曲でも、すべての曲と同じように、ホフマンの、考え抜かれた対照的なスタイルの選択の仕方はこのアルバムを貫く思想を強化している。  
   モニュメント Monumentsで、ペーター・ホフマンは、彼の好みのテーマを響かせるための、わくわくするような刺激的な新しいカギを発見した。すなわち、ポピュラー音楽とクラシック音楽の区分は人為的なものであること、音楽のすばらしい傑作、名曲は時代を超越していること、「クラッシック音楽」は聖遺物ではなく、生きている、さまざまな形で演奏されうる芸術作品であること、演奏家はこのソロ・リサイタルのような適切な場において、実験的なことをする権利があること、つまり、当然、独創的でなければならないが、聴衆に対して、挑戦的に新しいものを示し、進むべき新たな方向を探り、新たに鍛え直した音楽言語で彼らと交歓する権利が
あるということだ。
   演奏会を開いて、聴衆を自らのロックとポップスに巻き込む彼の才能は、その一挙手一投足が、人を惹き付ける。それは彼がオペラで行うコミュニケーションと同じだ。三度のツアーでは、二時間半のショーを行ったが、照明と音響デザインは技術的に感嘆させられるもので、楽器の演奏者と合唱を歌う歌手の選択においても音楽的に非常に優れており、演出も振り付けもダイナミックで、趣味のよいものだった。同時代の多くのロック歌手たちと違って、ホフマンの最大の魅力は音楽的価値にある。すなわち、その感動を呼び起こす声と彼の編曲と伴奏の優秀さである。そのプログラムは目新しい企画とか、おしゃべりではなく、あくまでも歌が中心になっている。彼の舞台は直接的取り組み、つまり、あれこれ言い訳せずに、私たちの時代の歌であると彼が信じる「新しい音楽」を提供する者としての歌手独自の方法である。
   ホフマンのロックは、この歌手の音楽的人格の重要な要素のひとつである。そのロックに、彼はオペラの舞台で学んだ技術を一部持ち込んでいる。すなわち、歌詞に対する鋭敏な感覚、聴き手の感情に訴える朗唱の鋭さ、演劇的な信憑性、そして、豊かな広がりをもった並み外れた声。彼は、ロックから、オペラに、彼のコミュニケーション・スタイルにある親密感、現実の世界との関連性、現代性をもたらす。彼は、両方の分野で、聴衆を獲得している。彼は、聴衆の聴くものに対する好みの幅を広げ、聴衆の音楽的固定観念を破壊し、あらゆるジャンルの質の高い作品に対する、聴衆の鋭い感性に気づかせる。ホフマンはロックのせいで声をだめにすると主張する偏狭な人たちは、否定し難い証拠によって正直な判断をしているのではなく、自分たちが達成できるかもしれない予言能力を信じる必要にかられているにすぎない。16年以上にわたって、自らの声で職業経験を積んで来ており、自分の声にある天賦の才能を大事にしている、テノール自身こそ、その声の使い方を決定する資格があるし、少なくとも歌を歌わない評論家よりは、はるかに適任であることは間違いない。そして、彼はこう主張する。ロックでは、ストレートな旋律だけが歌われます。しばらくこれをやるのは、歌の練習のようなものです。そして、確かに、ジェイムズ・レヴァインのような、非常に立派な音楽の専門家の見解こそが、このつまらない議論においては、重視されるべきだろう。指揮者は1982年にこう言った。
   ロックとペーター・ホフマンに関する限り、彼の技術は確実でゆるぎない状態なので、ロックをやっても問題ないと思う。ロックが彼の声を駄目にするという考えは間違っている・・・ ロックではマイクを使うのだから。静かに穏やかに歌うことができる。そうすることは容易なことだ・・・ 彼は何であれ自分のすることを自分で決めるだけの知性を備えている・・・ 

   ホフマンはロックを歌うことによって高尚な文化を貶めている、と主張する伝統主義者は、彼が20世紀のクラッシク音楽に含まれる歌唱文学を保存し普及させるために果たした重大な歴史的貢献を見落としている。
   ルドルフ・ビングはかつてこんな皮肉を言った。世界的に優れた歌手たちはブルー・ジーンズがなかなか似合わない。しかし、ペーター・ホフマンにとっては、ジーンズが似合うかということは全く難しい問題ではない。むしろ、時代遅れのテノール的固定観念に合わせることのほうが難題だ。彼は自分自身と折り合いをつけて、うまくやっていくためには、常に聴き手に挑戦的に問いかけ続ける必要があるのだ。そのレパートリー、ライフスタイル、そしてキャリア、どれをとっても、彼が非常に大事にしている音楽の目標に忠実であり続けている。つまり、こういうことだ。音楽の意義は、人と人の間に、世代間に橋を架けられるということだと、私は確信している。これこそが私が歌う理由である。
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