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追悼記事-1 [記事]

伝説の歌手


かつてのスターテノール、ペーター・ホフマンが死んだ
2010年11月30日 15:01 アクセル・ブリュッゲマン

引退したスターテノール兼ロックミュージシャンのペーター・ホフマンが66歳で死んだ
生き方の見本として記憶に残るような出会いがある。ペーター・ホフマンとの出会いはそれだった。

私は若すぎて、彼のバイロイト、パトリス・シェローの百年記念「リング」でのジークムントに生で接することができなかった。私は、強力な声と上半身はだかの筋肉たくましい身体の英雄のやる気満々で情熱いっぱいの姿を、DVDでしか知らない。

ペーター・ホフマンは、私にとって、1990年代のヘルデンテノールとはまるで違っていた。クラシック界に対して時に中指を立てて見せた男。ドイツの「オペラ座の怪人」になったブロンドの巻き毛の男。エルヴィスの歌とロック-バラードをあちこちの市のホールをどさ回りして歌った男。モーターバイクでリハーサルに現れた男。

ホフマンは病気と果敢に闘った
カラヤンとバーンスタインと共演した彼のオペラを知って、その感情のこもった抒情的で、力強い、本物の声に非常に感動させられた私は、彼のことを知りたいと思った。その時には、ペーター・ホフマンはいつの頃からだったのか、すでに姿が見えなくなっていた。だれも理由を知らなかった。自宅で会う約束をした。

フィヒテル山地を抜けて、のどかな田舎の街道を走り、フリーダースロイト村(Friedersreuth)に着いた。ホフマンはここに古い学校を改装して住んでいた。彼のお母さんがビスケットを焼いてくれた。


居間の壁にアメリカの古い車のボンネットが掛けてあって、ヤンキーのバーみたいだった。彼自身はと言えば、ジーンズに木こりシャツ姿だった。ブロンドの巻き毛は薄くなっていた。「そもそも話す意味があるのかどうかわかりません。私は病気です。非常に良くないのです」と彼は言った。

彼は時計に従って生活している。規則的に薬をのむのだ。そうやって、彼は自分を苦しめているパーキンソンを抑え込もうとしていた。しかし、彼の身体は時にダウンした。「自分がパーキンソンになるなんて想像もできませんでした。私はオペラのブロンドの英雄役で、ロックスターでした。でも、この病気になってよい人など誰一人いません」

ペーター・ホフマンは病気と果敢に闘おうと決意した。基金を設立し、大勢の人を援助した。自分自身としては病気を認めたくなかった。ブリュンヒルデに従ってワルハラに行くことに抵抗したジークムントのように病気に真正面から立ち向かった。

ゴルフクラブを持ち出して、テラスのドアを開けて、元気な様子を見せようとした。ボールを打とうと試みた。一度、二度、三度目の後、言った。「待ってください。もうちょっとでうまくいくから」そして、野原の向こうまで飛ばして、笑った。一打する間、彼は自分の身体の主人に戻ったのだ。

最後の数年間、彼は車椅子で、パーキンソンとそれによって併発した認知症と闘った。

あの時、別れ際に彼は言った。「人々がオペラ座の怪人とワルキューレを覚えていてくれたらうれしい。この二つは私の人生の一部です」
昨夜ヘルデンテノールは神々の力をやむなく受け入れた。ペーター・ホフマンはヴォータンに従ってワルハラに行った。テノールは66歳で病に屈した。彼の世紀の声が私たちに残された。その声こそが、音楽の無境界性のために闘った戦士の残したもので、それは永遠に生き続けるのだ。彼の歌声こそ、ポピュラー音楽とクラシック音楽、両方の世界の英雄が死後に残した生命なのだ。

*中指を立てる:一番最悪なのが、右手のこぶしに中指だけ上にまっすぐ立てて相手に向かって示す事です。
これは特に大喧嘩した時に、相手を黙らすために使うジェスチャーです。ドイツ語でStinkefinger(臭い指?)と呼びますが、その語源とジェスチャーの由来は不明。昔からこのジェスチャーがありますが、最大の名誉毀損で4.000EUR位の罰金になります。


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