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パーキンソン病とは何か [2003年刊伝記]

パーキンソン病とは何か

 パーキンソン病。この病気は、発見者であるイギリス人の医者、ジェームズ・パーキンソンの名前にちなんで、こう呼ばれるようになった。パーキンソン氏は医学だけでなく、社会に積極的に関わる、注意深い観察者だった。彼は『老ヒューバート』というペンネームを使って、産業革命時代のイギリスの恵まれない人々の劣悪な生活条件を公然と取り上げ弾劾した。通りを行く通行人も含まれる、わずかな症例の研究によって、およそ200年後の今日でさえもその説明が完全に正しいと認められるほど正確に病気を記述することを可能にするためにもおそらく優れた観察眼が不可欠だろう。1817年に発表した『震える麻痺に関するエッセイ』と題した論文で、彼はこの病気に最初の名前を与えた。すなわち、振戦麻痺である。この病気の場合、麻痺ではないので、今日では、みんな知っているように、誤解を招く名前だ。フランス人の神経科医ピエール・マリー・シャルコーは、1860年にパーキンソンの記録に、自分自身の観察を補って、この病気に、パーキンソン病あるいは単にパーキンソンという今日使われている名前を与えた。
 多くの人はパーキンソン病と言えば、なんといっても手足が意志に反して震える老人の姿と結び付けて考える。だれでも、この病気は、多分たいしたことではないし、薬によってコントロールできると思いたいという誘惑にかられるのに時間はかからない。残念ながら、この考えが間違っていることは明らかで、そういう事態の役に立たないということを、発病したら、いやでも思い知らされることになる。そこで、多くの人は当惑しつつ、自分の状況をもっと理解したいと望む。『理解』とは要するに 『受け入れる』ことにほかならない。それでは、パーキンソン病とは何だろうか。このような病気と共に生きるということをどう想像すればよいのだろうか。ジェームズ・パーキンソンは、すでに最も重大な症状を以下のように記述している。多くの場合、この病気は、手、足、あるいは、指だけということもあるが、それも片側だけの震えで、しかもとりわけ安静状態のときに、始まる。つまり、例えば、リラックスして、座ったり、横になったり、立っていたりするときだ。のちには、身体の反対側にもひんぱんにそういった症状がおこるようになる。動作は次第に遅くなる。歩き方は小刻みになり、患者はバランスを保つことが難しい。シャルコーはのちに、筋肉の緊張が増す結果おこるぎこちなさという典型的な症状に関する観察結果を追加した。始め硬直はたいてい肩凝りや背中の痛みとしてあらわれる。続いて、筋肉の緊張がどんどん増して、最終的には、特徴的な前屈みの姿勢に加えて、腕と手がつっぱったまま固定される傾向がある。因果関係を持って進行する症状に注目すれば、この病気のあらゆる複合症状は明らかである。
 このような症状を引き起こす原因は何だろうか。パーキンソン病は、脳内のある特定の神経細胞が徐々に死んでいくことによって引き起こされる運動障害である。私たちの運動は、随意的なものも、多くの不随意的なものも、脳によって制御されている。脳の働きによって、この制御を常に円滑に行うことができる。休むことなく、無数の情報が正しく結合されなければないらないのである。情報の流れは、神経細胞内で電気的に、神経細胞間ではたいていは化学的な手段で生じる。化学的な情報伝達のためには、メッセンジャー物質を生成し、分離し、受け入れ、再び分解する、すなわち、リサイクルすることが必要不可欠である。このメッセンジャー物質がドパーミンである。ドパーミンは、大脳黒質で生成される。細胞の色が黒いためこのように呼ばれている大脳黒質は、中脳の機能的な部分である。中脳は、やはり大脳皮質と共に、脳の機能的な部分に属しているが、黒質は身体の運動を制御している。従って、中脳は、脳の無数の組織と共に、神経接続によって、絶え間なく情報を交換している。ドパーミンを生成している黒色の神経細胞が徐々に死んでいくことによって、脳内のドパーミンの欠乏という状態が引き起こされ、その結果、パーキンソン病の症状が出現する。脳内のその部分には黒色物質を含む細胞がたくさんあって、縞模様があるように見えるところから線条体と呼ばれている組織が、他の脳組織と緊密に連絡をとっている。線条体の中には、ドパーミン受容体がある。これで興奮作用あるいは抑制作用を制御するドパーミンを受け取ることによって、線条体と連絡をつけ、脳内のその部分が活動する。ドパーミンと、ほかにも多数存在する伝達物質との複雑な相互作用によって、脳内の必要部分に興奮と抑制の信号が作られ、送りだされる。これが身体の運動の制御と統括に根本的に関与している。伝達物質が、不十分か、あるいは、もはやまったく働かなくなった場合、この時点ですでに、どんな影響が出る可能性があるか、ぼんやりとだが感じ取れる。興奮作用と抑制作用のバランスと、この作用を使った情報処理とそれに続く情報管理の全プロセスは持続的に阻害される。脳がもはや正常に機能していない場合、脳の性能に対する畏敬の念がたいていまっさきにわき起こる。一度でも酔っぱらったことのある人ならだれでも、いかにたわいもなく複雑な運動進行切り替えセンターの足並みが乱れうるかということを、知っている。私たちの生活はすべて運動である。運動とは、歩くこと、階段をのぼること、自転車に乗ること、乗馬などだが、車の運転でさえ、ものすごい科学技術の進歩にもかかわらず、今も統制のとれた運動を実行する必要がある。書くことも、ピアノを弾くのも、飲むこと、食べること、向きをかえるのも、朝起きるのも、運動である。さらに、笑ったり、驚いた表情をしたり、悲しみの眼差しを見せたりといった私たちの身振りや表情もまた運動である。そして、忘れてはならないのが、話すことと、歌うことも運動だということだ。話すことは、複雑かつ微妙に交錯する調和を要する運動だが、歌うことは、それよりもはるかに複雑で繊細な運動である。パーキンソンによるドパーミン欠乏に関する記述によれば、ドパーミン欠乏が脳内の運動制御の足並みを乱し、最終的には患者の運動のバランスを乱すのである。言うまでもないことだが、これはだんだんひどくなる。一見すると、一方では運動不能や硬直、他方では無意識の震えといった、正反対の症状が出る可能性がある理由は、興奮作用と抑制作用の交替で説明するとわかりやすい。全てドパーミン欠乏の結果にすぎないとすれば、この病気は軽いうちなら投薬によって治療できるはずだと思われがちである。この考えは確かにそれほど的外れではないが、よくあるように、最初に考えるよりも、実生活における現実ははるかに複雑なのである。
 パーキンソンやシャルコーの時代には、ドパーミンのことも、ドパーミンが運動の調整に重要な意味を持っていることもまだわかっていなかった。1960年の始め、不足しているドパーミンの代わりをする投薬がはじめて試みられた。幸いなことに、パーキンソン病であっても、ドパーミン受容体は維持されている。しかし、ドパーミンはそのままでは脳内に取り込むことができない。そこで、脳内でドパーミンに変化するレボドパなどの前駆体を使う。ただし、レボドパが脳内に到達する前に、この変化がおこってしまったら、受け入れ難い副作用を引き起こすばかりでなく、薬の適量の決定が困難になる。この早すぎる変化をある物質を加えることによって遅らせれば、投薬は効果的になり、投与量を減らして副作用を抑えることができるようになる。それでも、最善の投与量の決定は、常に難しい問題である。すでに示唆したように、健康な脳においてドパーミンは、情報伝達のためにまさに必要となったその時に、局所的かつ一時的に、限定的に生成される。余った分はただちに分解される。例えば糖尿病の場合、必要なインシュリンの量は、血糖値と供給された炭水化物に基づいて、正確に算出することができるが、そのつど必要なドパーミンの量ははかることができない。情報伝達がおこなわれている千分の一秒という単位の中で、計量することはまったくもって不可能である。一日中、脳には多くのドパーミンが必要だが副作用を避けるためには、可能なかぎり少量しか使用させないようにする必要がある。このために、例えば、胃や腸の中により長く留まって、そこで、徐々にレボドパを発生させる、いわゆる遅効性調合薬剤が使われる。それだけでなく、脳内のドパーミンを減らす薬もある (MAO-B-Hemmer抑制剤)ドパーミンの欠乏が原因で、他の伝達物質が激増するので、これを減らすというよりは、むしろこういう伝達物質の作用を弱める薬もつかうわけだ。最終的には、ドパーミンに似た働きをする物質で、ドパーミンを受容体に的確に導入できるドパ・アゴニストが使われる。治療効果の程度はここで詳しく説明する必要はないだろう。しかし、すべてに共通していることは、神経外科的処置を含めて、対処療法を行うだけで、病気の原因を排除することはできないということである。確かにドパーミンを生成する神経細胞の死滅が起っていることはわかっているのだが、何が神経細胞の死滅を引き起こしているのかは今日にいたるまで解明されていない。パーキンソンの症状を引き起こしうる化学物資がみつかれば、動物実験で試験されて、新しい薬や治療法がみつかるだろう。時には、脳の病気やけがが原因になる。どちらの場合も、対症療法的にはパーキンソン症候群と称している。さらに、パーキンソンの遺伝的素因も見つかっているが、発病に関してそのように説明できることは非常に珍しい。おおかたの患者の場合、本当の原因はまったくわからない。場合によってはさまざまな要素が関わっている可能性がある。とりわけ、環境汚染や、いわゆるストレスによって発生する活性酸素の作用について議論されている。後者については、身体がストレス状態になければ、活性酸素、つまり、高度に反応的な酸素結合と、それによる細胞損傷作用は無害であると言われている。
 加齢に伴って、身体が本来持っている自然回復機能の働きは衰える。パーキンソン病にかかる確率は年をとるほど高くなるのはおそらくこれが理由である。大半の患者は、最初の症状が出たときには満60歳をすでに過ぎているが、はるかに若い人でも発病している。また同時に、脳は驚くべき代償能力を有しており、黒色物質内のドパーミンを生成する細胞が、すでに半分以上死滅してしまったときにはじめて、最初の症状があらわれるのだ。この病気のこうした潜行性の経過は、殊に若い患者の場合、早期の正確な診断を困難にすることが多い。残念ながら、病気の進行を食い止めることができる信頼性のある薬もまだない。入手可能な薬が症状を緩和し、最初の恐怖のあといつも通りの活発さをほとんど完璧にとりもどせるのだけれど、脳の中では、細胞がどんどん死んでいっているのだ。時と共に黒色の物質の外側にある別の領域もおかされてきて、脳の機能障害が進行し、そのために、抑鬱状態といった問題が加わり、精神的な能力が弱まり、血液循環障害等々が出現する可能性がある。
 パーキンソン病に対する投薬の効き目は何年も持続するものではない。なぜなら、病気のほうも更に成長するからだ。その上、好ましくない副作用がおこる可能性があり、その結果、治療法の調整あるいは、新しい薬の投与が不可欠になる。そして、そのことがさらにまた別の副作用を招く可能性があるのだ。
 このようなことから、パーキンソン病には、決定的な治療法は(まだ)ないし、まったく同様に、患者に施される治療法もわずかしかないことがわかる。この病気は、患者によって、ひとりひとりちがった進行の仕方をする。薬の効果も患者によってひとりひとり違うし、投薬の身体に対する負担の度合いも同じではない。薬の効き目は、同一人においてさえ、日によって違う。パーキンソン病は挑戦である。日々、新たな事態に直面せざるをえないし、いつも同じようにうまくいくとは限らない。
 私たちの社会はますます高齢化が進んでいる。そしてパーキンソン病患者の数は増えている。彼らはみな、症状を抑えるだけではなく、脳内の損傷を治すことができる治療法に対する強い期待で結ばれている。もしかしたら、幹細胞の利用によって、うまくいくかもしれない。胎児の幹細胞の利用については、意見がわかれるところだろうが、成人のそのような細胞を取り出すことも、可能かもしれない。世界中の研究者が、この病気を最終的に治すのための方法を探している。ペーター・ホフマン・パーキンソン研究プロジェクトの活動もそのひとつである。しかし、真の突破口が得られるまでは、そこにある病気とすこしでもうまくやっていくことがまずは肝要である。ますます多くの細胞が死滅しているということは、パーキンソン病を食い止めることができ、かつ予防する物質の開発こそが、大きな進歩ではないだろうか。この病気をこれまでより早期に、そして的確に、最初の症状が現れる前に診断する助けとなるような手段ならびに方法があれば、これこそが何よりも新たな患者の助けとなり、彼らを多くの葛藤から解放するだろう。  パーキンソン病の確かな原因と、この病気が実際どのようにはじまるかがわかれば、回復までの道筋はもはやそんなに遠くはないだろう。しかし、それまでは、この病気に関する情報水準を改善すること、とりわけ、患者に対するより一層の理解を実現することなど、あらゆる援助が可能である。よりによって若くしてパーキンソン病にかかった人たちは特に深刻である。なぜなら、生活も仕事も現役の最盛期に、病気にかかってしまうのだから。このころは、まず第一に年齢と身体の衰えを結び付けて考える時期でもあり、まだ若さと欠点のない身体こそが最高の財産であるようの思える時代でもある。突然、もはや以前のようには、身体が機能しないということは、受け入れ難い。いったいだれが、業績だけが意味を持つ社会において、自分の弱点を喜んで認めたがるものだろうか。
 突然、舞台上にしろ、あるいはカメラの前にしろ、もう二度と立てなくなるなら、外科用のメスが二度と握れなくなったり、エンジンの修理ができなくなったりするなら、なんという事態だろうか。よろめいたり、理由もなくその手が震えたりするのが50歳の人の場合、大半の人は、中枢神経系統の病気よりも、むしろアルコールが原因だと考える。パーキンソン病は未経験の境界線を設ける。当然のことが、挑戦になってしまう。全く思いもしなかったことが、突然困難になる。だが、パーキンソン病は1500年にはすでにまぎれもなく人を破壊していた。その状況が、印象的に、書き残されている。『震える手足は、心の許可もなく、勝手に動いている。心は、全力を尽くしても、その手足の震えを阻止することができない』 いつの日か心と手足を再びお互いに調和させる手段が発見されること、これこそが、まさに待ち望まれていることなのだ。
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