SSブログ

補遺-2 [1983年刊伝記]

ペーターのお化け
 ペーター・ホフマンの怪奇現象のおこる城館の話はテレビ界を徘徊しただけでなく、大衆紙も大見出しで掲載したので、「クリーア紙」は当然その誇りを刺激された。このオールラウンド・スターの弟で疲れを知らないマネージャーのフリッツ・ホフマンとの粘り強い交渉が失敗したあと、私たちは、それでもなんとか、いわば裏口から、思いがけず、女性のお化けとの短いインタビューを持つに至った。
 城館の「普通の死ぬべき運命の」住人の不在中に、私たちは、シェーンロイトで自動留守番電話を通して、お化けとの最初の接触に成功した。私たちの熱烈な求めに、その女のお化けは、「レディー・プシ」という匿名で、自ら登場し、彼女のお気に入りのスナップ写真を私たちに託した。普通でない楽しい会話の中心は「シェーンロイト少年合唱団」のこの間の米国滞在だった。
 ペーターが、米国で、歌とショーの仕事だけしていたのではないというのは当たっているのでしょうか。
  「全く正しいです。このアメリカ旅行の主な目的は、『ダラス』のプロデューサー、カッツマンとの話し合いだったのです。このシリーズは行き詰まっています。絶体絶命の今、救い主は、ふるきよきドイツからやって来るべきなのです」
 それは要するに、まだ撮影を終了していない続編、次の52回では、ペーターが主演俳優の一人だということでしょうか。
 「当然です。それは間違いありません」
 レディー・プシ、お話、ありがとうございます。
 しかし、彼女にはきっともう聞こえなかった。ここで、留守番電話が故障したから・・・
(北バイエルン・クリーア紙バイロイト1983年1月13日付け一日の寸評からの抜粋 )

註:『ダラス』:「全米で13年間、最高視聴率53.3%を記録した全357話の超大河ドラマ」らしいです。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。