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論評集-10 [1983年刊伝記]

コントラスト
 ペーター・ホフマンのインタビューを読むと、いつも「対立」という言葉が最も重要なキーワードだ。1982年3月31日付けの『日曜日の世界』紙は、「パルジファルが、ロックンロールを歌う。ドイツ第二放送(ZDF)は、かつての、落下傘部隊の上級伍長、ペーター・ホフマンによるショーを計画している。ホフマンは、たった今、ロック歌手として契約を結んだが、七月にはバイロイト音楽祭を開幕することになっている」と、予告している。ワーグナー歌手が「ロッカー」としてCBSとの三年契約にサインしたとき、「ワーグナー愛好者」のうちの誰一人として、このことで、彼に気を悪くしなかったのを、カール・シュミット・ポレックスは、この記事の中で、驚きをもって書き留めている。
 「パルジファルで、その上、ロック歌手でもある。彼の専門分野から、こんなことをやった人は未だかつて出た例がないし、あったとしても多分うまくいかなかっただろう。しかし、より重要なことは、このことでだれも彼に対して腹を立てていないことだ」引き続き、彼はペーター・ホフマン自身に「複数の音楽界を行き来すること」に関する彼の見解を求めている。「若い人たちが突然オペラに興味を持ち、学校時代からの魔弾の射手症候群を忘れはじめるということに気がつきました。私のようなタイプが、舞台を駆け回っていれば、こういうのも確かにそれほど退屈じゃないかもしれないと思うということです。年配の人たちは、私の人柄を通じて、ロックンロールも、がらくたであるはずがないということを発見してくれるかもしれません」
 彗星のような上昇から十年、今なお、歌手は自分の人気に驚いている。「東ベルリンを訪問した際、ある本屋で、一頁全部が彼のために割り当てられている有名歌手たちを集めた本を見つけたとき、彼は、『私が入っているなんて・・・』と、正真正銘、驚いていた」
 同時に、誤解されて困ることもけっこうあるという話は、彼の率直さを証明している。あるレポーターに語っていることだが、いつだったか、ジーンズに、スニーカー、開襟シャツという格好のせいで、ホテルの守衛たちに怪しまれて、頭のてっぺんから足の先までじろじろ見られてとても厄介なことになったということだ。「そこで16000マルクで時計を買いました。守衛たちがすぐに気がついてくれるような物を身につけたかったのです。だって、とにかく彼らはそういうものに目を走らせて判断しているのですから」
 マスコミによって、彼とルネ・コロの間にでっちあげられた、いわゆる歌手戦争には、彼としては、全然興味がない。「私たちは、親しくなるには、あまりにも違っています。コロの公演に関しては、せいぜいゲネプロに行くぐらいです。そして、その時彼が見事に歌えば、一人前にうらやましいと思います。歌手戦争ですか? 何のために? なにしろ、私たちは、自分たちの専門分野において、世界中で、ほとんど一人ぼっちという状態なのですから」

 「対立は極端であればあるほど、楽しみはますます大きくなる」と、ルイ誌は、1983年のはじめに、ペーター・ホフマンについてあれこれ書きたてるかたわら、コロ対ホフマンについても、同じように想像をたくましくしている。「まるで ジョー・フレージャーとムハマド・アリの対戦のように、オペラの二シーズンにわたって、三幕でより早くコンディションが悪くなる人のおかげで、一方が得点を稼いだが、さて、もう一方が、とにかくひどく傷つけられた、持ち前の芸術家魂で、反撃にでるかどうか・・・。 ただこの完全な『人物相関図的空騒ぎ』は、ムハマド・ホフマンにとっては、ほとんどどうでもいいというだけだ。『コロは偉大です。ということは、私も同じです。それでも、ヘルデンテノールの完璧な共同居住グループの一員として存在してくれないかと言われても、そういうことは、私たちは、二人ながら拒否します』」そのあと、『ルイ』誌の記者、ハリー・S・フォクトは、このペーター・ホフマンという人物に関する、インタビューのまとめに移る。「そう、この人は、自分の頭を使っており、あらかじめ印刷しておいたイメージは、彼に関しては、まともなことでは、一致しないだろうということだ」同時に、記者は、彼が時にはまさにスターであることを楽しんでいると確信しているが、「しかし、それが自分に似合っている場合に限る」し、「養魚池の縁にゴム長靴をはいて座り、手づかみでソーセージを食べる」のはどちらかと言えば、好まない」 加えて、この記事は、あのものすごく高価な時計を見逃さない。時計は少々高く売られ、22000マルクと金の文字盤に読者の注意をひきつけるだけにすぎないにしてもだ。インタビューアーは今度は、ペーター・ホフマンは本当に優れたショーの台本を書いたのか、最初のロック・レコードは、ほんとうに優れた歌唱なのか、彼が出したがっている彼自身のロック・ナンバーは良いのか、「ところで、演出家から離れて、彼自身から湧き出る即興的才能を取り入れることが可能になるとき、彼はほんとうに最高なのだろうか」、彼は特にすごい馬マニアなのか、さらには、ホフマンが記者に話した冒険のほかに、もっと別の大胆不敵な冒険航海は経験したことがないのだろうかなどと、疑ってみる。しかし、それに続けて、フォクト氏は、このテノールに関わる全てが良いと思う理由を次のように言う。「『聖杯物語と流行歌』、いずれにせよ、ホフマンの自然のままの創造性は、そもそもまず第一に、全てのことを実現しようと欲すること、そして、それを実行することに向けられている。これがあらゆる方向に、そして、あらゆる高みと深みに、彼を駆り立てている」『それはアドレナリンが原因だ』と彼は言う。これこそが、行動を生じさせる物質だと彼は信じているのだ。彼はこの物質を恐れながら、役立てている」

 コスモポリタン誌の歌手とのインタビューでアンゲリカ・フォン・ハーティヒは、「ペーター・ホフマンは、決めつけられるのを好まない。彼は対立的な計画を好む」と断言している。彼女はペーター・ホフマンを、肯定的な意味でだけでなく、ドイツ・オペラ界の歌手として、さまざまに色を変える捕らえどころのない人物と見なす。このポートレートの中で、歌手はこう反論をしている。「その冗談は、私は意識的に構築したイメージを持っていないということにすぎません」「女性」というテーマに対する、信条発言に関しては、ほとんどのインタビューにおいて、控えめだった。多くの読者が何よりも興味を持っているこの問題に対して、彼はあまり関心を示さない。
8320.jpg ここ数年間、そのうちにいつか、絶対に「意欲満々の行動的なご婦人たちの懇願」を聞き届けることになるだろうと思っていたが、そのことは、今はもう終ったことを、彼は認めている。つまり、こういうことだ。「一年前から、女友だちのデビーと一緒に暮らしています。私たちはできる限り一緒にいるようにしています。現時点で、長期間、空間的に離れていることはもはや無意味だと思います。離れていれば結局は疎遠になります」と、彼はその理由を説明するが、それは同時に彼の結婚生活が13年後に「穏やかに、静かに」壊れた理由でもある。(「今日私たちは良い友だちで、お互い最高に理解し合っています」)長く離れていると、不満がかき立てられて、目下いる場所で気を紛らわそうという誘惑に負けてしまうというのだ。更に、親密さと居心地の良さの欠乏状態に陥り、それは、もはや一日やそこらでは取り戻すことができない。彼が、女友だちのデビーと結婚したいと思うのは、戸籍課の印が欲しいからというよりは、アメリカ人の保守的な姿勢が、その理由だと、彼は説明する。heiraten.jpg(1983年8月23日結婚式を挙げたということです)
 理想的なパートナーシップを、彼は、「外からの影響に対する防壁」と理解している。そうであれば、数週間の別離も可能だ。それに、「そこに相手がいないという理由で、多少我慢することは、非常に良い効果を与えます。いずれにしても、喜びよりも苦しみのほうが意味があるのです」ということだ。

 ホフマンは、周知の出来事、あの事故についても、言及している。「あのことを乗り越えるのは、確かに困難でした。劣等コンプレックスが、亡霊のように心に浮かび、もう少しで窒息しそうでした。私は物凄く惨めに苦しみました。しかし、私は何としてももう一度歩けるようになりたかった。それはいかにも残酷に聞こえますが、それによって、私は成長しました。苦しみによって、人は成長します。喜びを体験するのは簡単です」

 インタビューの終りに、公開性に関する彼の苦労が取上げられている。「自分に寄せられる賞賛を、正しく分類できなければいけません。それは絶対にホフマンという人間に及ぶ必要はないのです。それはつまり、その時、プライバシーまで完全に公開している人は非常に傷つきやすいということです。特にこういう仕事においては多くの事を自分一人の胸におさめておく必要があります。例えば、素晴らしい経験の数々。私はあまりにも多くを語るのはやめました。物事は繰り返しによって輝きを失います。ひょっとしてこういうのは非常に利己的なことかもしれません。しかし、私がある人々に何かを語ったとき、そもそもその人たちが全然こういう信頼に値しなかったということに何度も気づかされました」
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