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論評集-5 [1983年刊伝記]

バイロイトのローエングリンの年 1979年
8385.jpg ペーター・ホフマンは、バイロイトの初ローエングリンを、ゲッツ・フリードリヒの演出で、1979年に歌っている。舞台装置は再びギュンター・エッカーが担当し、それは、すでにシュツットガルトでの「パルジファル」でもそうだったように、陰鬱で厳格なものだった。マスコミは「バイロイトのローエングリン全歌手の中で最も若い歌手」を歓呼して迎え、テレビ局は、1983年のワーグナー没後百年記念に放映するために、三年後この演出を録画している。1983年4月、ペーター・ホフマンはこの役に対して「バンビ」を受賞している。
 ペーター・ホフマンはその外見と強力な声によってローエングリンの『歌役者』にまさに運命づけられているのだということが、この夏の批評から感じ取れる。
 
 「ペーター・ホフマンの騎士はまさに声楽的に最高に規律正しく洗練された印象を与える。スリムだが、貧弱な声ではない」(ハンス・クラウス・ユングハインリッヒ、フランクフルト・ルントシャウ)
 
ph_loh82.jpg 「バイロイトのヘルデンテノールになった、ヘッセン州の十種競技チャンピオン、ペーター・ホフマンは、がっしりして、背が高く、金髪の魅力的な、絵本から抜け出たようなローエングリンだ。その上、その声がたとえ叙情的気高さを欠いているとしても、歌もまさに模範的と言っていいほどである。柔らかく表情豊かな歌い方の聖杯物語が、それでも、全く傷がなく、整然と、うまくいったのは、全く驚くべきことだった。ひとりの年配の婦人が花束を投げた」(ラインハルト・ボイト、世界紙 Die Welt)

8375.jpg 「演出家は、題名役をできる限り自由にさせた。ペーター・ホフマンは崇高な眼差しをして、恐るべき難役を、たとえ音程が正確でないことが時にあったとしても、ほとんどやすやすと歌った『ように思われた』。新婚の部屋で、ローエングリンはついに『奇跡』から解放されたような気分になっていた。『奇跡』などというものは、現代的な格式張らない人間であるホフマンにとっては、面倒以外の何ものでもないのだから」(E.リンダーマイヤー テ ー・ツェット・ミュンヘン )
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 「ペーター・ホフマンは、若い、非常に共感できる、その上、『極めて人間的な』ローエングリンである。その声は、必要な力を備えており、音色は成熟しており、高音は生き生きとして充実している。まだ欠けているのは、さらに一層の華やかさのようなもの、王子らしい素直な輝かしさと、そのために、さらに繊細な陰影をつけることだ」(ルドルフ・ジェックル、新フランクフルト新聞)

 「ペーター・ホフマンがローエングリンとして、熱狂的に迎えられたのはもっともだ。声のコンディションはまばゆいばかりにすばらしかった。極めて自然で、現世的な印象を与える、非常に若い聖杯騎士。例えば、聖杯物語では、神秘的な忘我の境地では全くなく、そのために何か高貴に歌い上げるという感じは全くない」(ディートマール ポラチェク、フランクフルト・アルゲマイン新聞)

 「バイロイトの全ローエングリンの中で最も若い、ペーター・ホフマンは、その骨の折れる難役で、ほとんど苦労しているようには聞こえない。彼の相当暗いテノールの声は、もっと低いジークムントの音域のほうがより心地よく感じられるだろうと予想されていたにもかかわらず、である」(ミヒャエル・ミューラー、ミュンヘン・メルクーア)

 「バイロイトのジークムンドのペーター・ホフマンのテノールの声は、次第にバリトンのような危うい色合いになっており、あまりにも低い歌唱と格闘しなくてはならなかったので、高音はやすやすと音を出すというわけにはいかなかったから、彼のローエングリンは、その最良の状態を聴けるものではなかったし、その上、才能豊かな俳優である彼が、その聖杯物語を内面的心の動きもなく、どうということなく平凡に歌ってきかせた、などということはもちろんなかった」(ヴォルフガング・シュライバー、南ドイツ新聞)

 「ローエングリンのペーター・ホフマンは、絵本から抜け出たような英雄だ。非常に美しく、その上金髪だから、彼は間違いなくいつだって女性たちの拍手喝采の的になり得る。彼はすばらしく歌ったが、しかし、声をうまくコントロールしているという感じではなかったし、演出がこの人物に関して考えていたことの全てを演技者として実行に移してはいなかった。驚きからこの世界でよそよそしい態度をとる、神によって遣わされた者という側面は、聖杯の外面的な輝きによって彼に与えられたもの(だが、そこでは、だれもが相当うぬぼれが強そうだ)を除けば、彼からは感じ取れない」(ワルター・ブロンネンマイヤー、ニュルンベルク新聞)

 「ホフマンは、童貞の独特の雰囲気、若者らしい親密さと、それにもかかわらず、非常に落ち着いた男らしさを、舞台上で納得させた。彼の非常にスリムなテノールは、確かに危うさがまったくないというわけではないが、叙情的な優美さに満ちている。聖杯物語とその後のところでは、疲労と無理なごり押しが聴こえる瞬間があった」(エリック・ラッペル、北バイエルン・クリーア、バイロイト)

 「ペーター・ホフマンがローエングリン役だが、彼もまた、目下のところ、この役にふさわしい輝かしい叙情的な声質には恵まれていない。だが、非常に意外なことに、聖杯物語を極めて軽く、しなやかにやり遂げている」(リヒャルト・バーンスタイン、ライン・メルクーア)

   「1976年にジークムントとしてバイロイトに突如出現したペーター・ホフマンは、ローエングリンとして、演技的にも声的にも、僥倖である」(夕刊、ミュンヘン)

8384.jpg 「ペーター・ホフマンは落ち着いた、自身に満ちた声で、周知の騎士を歌いはじめた」(ギュンター・エンゲルハルト、ドイツ新聞、ボン)

 「・・・ローエングリン役とその機能はペーター・ホフマンにぴったりである。この役を、ペーター・ホフマンは、無心の純粋な美の、あの非の打ちどころのない美しさで歌い、演じた」(ペトラ・キップホフ、Die Zeit)

 「プレミエの論評と、私の聴覚的印象を比較すると、ここで批評されている上演にとって、おそらく全ての歌手が、何倍も改善した状態でなければならない。というのはペーター・ホフマンは声に関して困難がないばかりか、この役を終わりまで完全に自信をもって悠然と具現化することができたからだ。バイロイトと我々にとってホフマンの存在は喜ばしいことである」(オペラとコンサート 1979年10月号)

8386.jpg 「題名の英雄役、ペーター・ホフマンが演じたのは、従来通りの天から遣わされた奇跡の人ではなく、男性的な大天使ミカエルだった。彼は、『異質』の人間であるエルザが驚きながら手で触って調べるに任せたあと、彼女ために喜んで戦うだけでなく、彼女を愛して、彼女と結婚して留まろうとするのだ。あっと驚く役づくりということだ。叙情的であると同時に劇的な瞬間のために、スリムで強靱な声を駆使することが、歌手にゆだねられ、彼は、巧みなテクニックに支えられて、説得力をもって演じきったが、それにつけても、プレミエでの多くの批評が、『危険なバリトンの音色』を非難した理由がいまもって不可解である。バリトンの音色こそが、結局のところワーグナー・テノールには、ふさわしいだけでなく、この役においては、ワーグナー・テノールを、危険な無菌状態からまさに解放するのである」(オルフェウス 1979年10月号)
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