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27)ペーター・ホフマンの部屋 [2012年刊:フリッツ・ホフマン著]

p.166ー171
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 2007年の初め、素晴らしい申し入れがあった。ケムナート市の名誉市民であるマックス・ポンナート氏と親友の医師フリッツ・ダインライン博士が、ケムナート市にペーター・ホフマンの場所を設置するべきだと考えるに至ったという。この興味深い提案を受け入れるのにさして考える必要はなかった。兄は1981年にシェーンロイトの城館に越して来て以来、非常に心地よいと感じていただけでなく、長い間この地方とはとても密接にかかわり合っていた。初めの頃こそオーバープファルツ地方の方言には戸惑ったものの、私にとってもオーバープファルツ地方は心の中にしっかりと存在している。

 どういう部屋にするかは完全に私の自由に任される形でペーター・ホフマンの場所の開設を依頼されるということは、喜びであると同時に名誉でもあった。その部屋は旧ケムナート市庁舎、現在の市立図書館内にある。ウェルナー・ニックル市長の全面的サポートもあった。市長は兄に関しての常設展示という考えに大賛成だった。

 この部屋は元は実用書が置かれていた。まずは本棚を撤去しなければならなかった。改装工事、そして、私の考えの実現がゆっくりと始まった。壁を明るい色に塗ってもらった。訪問者に陰気で暗い博物館という幻想の世界に入るという感覚を絶対に持たせたくなかった。

 私たちは全員、この場所は兄のための心地よく品位のある部屋であるべきだと考えていた。そして、2007年の8月22日、ペーターの誕生日を開場目標とした。

 ペーターの沢山の写真のほかに、部屋の中央に、御影石の台座に載った兄のブロンズの胸像を置いた。有名な彫刻家クルト・アレンツによる作品だ。この人はアメリカの元大統領ジョージ・ブッシュ・シニア(第41代アメリカ大統領)の胸像も手がけていた。ペーターの数多くのゴールドレコードのうち、最初のゴールドレコードを壁に飾った。バイロイト音楽祭でのジークムントを描いた美しい油絵のコピーも飾った。当時、ホフマンのファンがこの素晴らしい作品を彼のために描いてくれたのだ。

 しかしながら、私にとっても最も重要だったことは、ペーター・ホフマンの部屋を彼の忘れがたい音楽で満たすことだった。そこで、部屋の一角のスクリーンで見ることができる一枚のDVDを制作するという考えが生まれ膨らんだ。父のホルストと一緒に音楽資料の保管場所をくまなく捜しまくるという骨の折れる細かい仕事の結果、それは完成した。今は興味のある訪問者はおよそ1時間、クラシック音楽あるいはポピュラー音楽の活動領域から選んだペーター登場の代表的場面を体験できる。さらに加えて、デジタルフォトフレームでペーターの輝かしい仕事歴や私生活の沢山の写真のスラドショウを見ることができる。このように、私たちは少しずつゆっくりとこの部屋を完成させて来た。そして、兄の記念としてふさわしい部屋を創造できていることがうれしい。
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 ペーターの誕生日までは実に長かった。2007年8月22日、ペーター・ホフマンの部屋開場式がケムナート市立図書館で行われ、私たちは全員その結果に予想以上に満足した。 計算できないほどの長い時間をかけた仕事だったが、訪問者たちは沢山の詳細な展示を喜んでくれて、それぞれにとってペーターと関わる最高の体験になったようだったから、私は大満足だった。やっぱり彼はシェーンロイトの自分の小さな城館に引きこもっている人間ではなかったのだ。人々のところへ向かっていく人間だった。そして、これこそがまさにその巨大な人気の理由のひとつだったのだ。彼はごく普通の隣人として好まれたのだと思う。
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 今も時々この部屋に一人で座って、ペーターの音楽をかけ、絵や彫刻を眺めて、二人の共通の素晴らしかった日々を思い出す。

 開場式の間、大勢の招待客がたくさんの写真をじっくり眺めてあれこれ評価していた。そして、ペーターのゴールドレコードは純金なのかという質問に私は辛抱強く繰り返し答えた。「違います」

 かなり以前のことだが、家に泥棒が入ったことがあった。泥棒は玄関に掛けてあったゴールドレコード、1ダースだけをねらったのだった。これらが純金製だと思ったのだ。しばらくしてヴァルデック近辺の森林地帯のそばで中身のない枠が見つかった。泥棒たちは材質的にはほぼ無価値のレコード盤を携えて逃げてしまったのだ。私は落ち込んだが、ソニーミュージックが私の大切な思い出の品を改めて作成すると知らせてくれたので、すぐに立ち直った。だから、とにもかくにも、それらは今もなお私の事務所の壁に飾られている。
☆ ☆ ☆


おまけ:
2007年8月22日 63歳の誕生日の記事
phroom_0.jpgケムナート市立図書館に「ペーター・ホフマン・コーナー」が開設された。展示物は、偉大なワーグナー・テノールの業績と芸術家としての多才さの証である写真、ビデオ、そして、ゴールド・レコードなど。ケムナート市はこの常設展示を長年にわたってこの地に居を定めてきたペーター・ホフマンに対するオマージュ、すなわち敬意と賛辞を示すものと考えている。






ユーチューブ:ケムナート市図書館のP.ホフマンコーナー

phroom_1.jpgおそらくの弟のフリッツ・ホフマン氏から新たなビデオがユーチューブに投稿されました。ペーター・ホフマンのホームページにも2007年8月22日、63歳の誕生日に、「ケムナート市立図書館にペーター・ホフマン・コーナー開設」という記事が載りました。そのコーナーの紹介ビデオです。BGMは、ペーター・ホフマンの歌う、 "オンリー・ユー" です。

phroom_2.jpg右の画像の真ん中に見えるのが、1983年に、多くの有名人の彫像を手がけている著名な彫刻家クルト・アレンツ氏が制作した、ペーター・ホフマンの頭部のブロンズ像です。
ペーター・ホフマンのブロンズ像に関する記事



以下、これに関する別のサイトに書かれていたことを簡単にまとめました。
phroom_3.jpgヘルデンテノール、ペーター・ホフマンのブロンズ像を展示中

クルト・アレンツは世界的に有名なオペラ歌手の彫像を制作した。この像は1983年に彫刻家、クルト・アレンツが制作し、ホフマン家にあった。現在、バイエルン州ケムナート市で開催中のこの著名な歌手の生き方と活動の展示の中心に置かれている。すなわち、ケムナート市立図書館で2007年8月に開設された歌手に関する展示の中心である。

この展示によって、市はケムナートにおおかた20年住んでいるかつてのワーグナー歌手であるスター歌手を正当に評価した。ターシェンロイト郡オーバープファルツにあるこの市は、これによってホフマンのファンと観光客にとってさらに魅力的な場所になっている。ホフマンはかつて長年シェーンロイトの城館に住んでいた。今63歳の歌手は1983年にここの戸籍役場で世界的に知られた歌手デボラ・サッソンと再婚し、人生で二度目の結婚式を挙げた。

ズデーデンドイツ人であるペーター・ホフマンは1944年8月22日にマリエンバート(現在のチェコ共和国)で生まれた。追放(第二次世界大戦でのドイツ敗戦後、スデーデン地方のドイツ人およそ300万人が追放された)によって両親と共にバイエルンに来た。

バイロイトでのジークムントで輝くように美しかったペーター・ホフマンは、その後14年バイロイト音楽祭で歌った。ニューヨークのメトロポリタンオペラやパリでローエングリン、ハンブルグではオペラ座の怪人だった。かつてのスポーツマンは、バードゼーゲベルグのカールマイ・フェスティバルの野外劇でオールド・ファイアハンドまでもやってのけた。非凡な才能によってロックとクラシックの両方で何百万もの観衆を熱狂させた最初のドイツ人でもあった。

1994年、ペーター・ホフマンはパーキンソン病の最初の兆候に気づいた。1999年、病気のことを公表した。2000年の最後のクリスマスツアーが、その成功をおさめたキャリアの終わりだった。2003年伝記が出版された。

2度目の離婚後、1999年から理学〈物理〉療法士のザビーネ・ツィムラーと暮らしていたが、2007年3月、二人はひっそりと結婚した。二人の間にはすでに娘がいた。発病以来、ホフマンはパーキンソン病研究のために尽力してきた。この活動はマールブルクのフィリップ大学実験神経医学研究グループにおかれたペーター・ホフマン・パーキンソン研究プロジェクトとして恒常的に活動しており、ギュンター・ヘグリンガー博士が指揮をとっている。

ケムナートの展示は名誉市民マックス・ポンナートとフリッツ・ダインライン博士がイニシアティブをとって実現した。実際的なことは歌手の弟のフリッツ・ホフマンに委ねられた。『思い出の部屋になるだろう』と58歳の弟は語った。


phroom_4.jpg彫刻家のクルト・アレンツは『傑出した歌手であり人間であるペーター・ホフマンのためにその存命中に記念する場所を作ることは市と全地域の責任者にとって名誉なことだ。そして、私が制作した若き日のホフマンの胸像がその場所にあって正当な価値を認められることは、うれしいことだ』と話した。

アレンツ氏はベルリンのヨーロッパ文化基金の芸術家スポークスマンという名誉職にもある。現代ヨーロッパにおける、伝統的な彫像制作者として卓越した人物とみなされている。アメリカ大統領、ドイツ連邦首相、カラヤンやバーンスタイン、エルンスト・フックスといった芸術家、ケルンの枢機卿や教皇ベネディクト 16世のような宗教家、財界人や産業人のなどの彫像に不朽の名を残している。
★ ★ ★

目次
ヨッヘン・ロイシュナーによる序文
はじめに
ロンドン:魔弾の射手
バイロイト:ヴォルフガング・ワーグナー
パルジファル:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ロリオ:ヴィッコ・フォン・ビューロウ
リヒャルト・ワーグナー:映画
シェーンロイト:城館
ペーターと広告
コルシカ:帆走
モスクワ:ローエングリン
ロック・クラシック:大成功
バイロイト:ノートゥング
ゆすり
FCヴァルハラ:サッカー
ドイツ:ツアー
パリ:ジェシー・ノーマン
ニューヨーク:デイヴィッド・ロックフェラー
ボルドー:大地の歌
アリゾナ:タンクヴェルデ牧場
ペーターのボリス:真っ白
ミスター・ソニー:アキオ・モリタ(盛田 昭夫)
ロサンゼルス:キャピトル・スタジオ
ハンブルク:オペラ座の怪人
ナッシュビル&グレイスランド
ナミビア:楽しい旅行
ペーター・ホフマンの部屋
表紙と目次




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