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カウフマンは道を誤らない!? [オペラ歌手]

ネット世界を眺めるに、ワーグナーも歌う新鮮テノールと言えば、クラウス・フロリーアン・フォークトとヨナス・カウフマンということですが、現時点で断然目立つのは、カウフマンの方。以前にアップした記事「ドイツの新白鳥の騎士」の通りです。「ヴィットリオ・グリゴーロの資料室」によれば、グリゴーロ検索で、一緒にヒットすることも多く、比較する記事もあるそうです。

2010年11月15日付けの「Why Jonas Kaufmann can do no wrong カウフマンに間違いがあり得ない訳」と題するタイムズの記事、「ヴィットリオ・グリゴーロの資料室」にも一部引用されていますが、なかなかおもしろいです。

このインタビューでも語られていますけど、かのアンジェラ・ゲオルギュウが、あるインタビューで、彼女がカウフマンを見つけて引き立てたのだという発言をしています。なんでも、ゲオルギュウは、メトロポリタン・オペラで「ラ・トラヴィアータ/椿姫」に出演するに当たって、新しいテノールを探していた。そのころ、マネージャーだったかが持ってきた、チューリッヒ歌劇場、チェチリア・バルトリの「ニーナ」のビデオを視聴。それに出演しているチューリッヒのアンサンブルメンバーのカウフマンを知ったのだそうです。良いと思ったので、まずコヴェントガーデンに話してプッチーニの「つばめ」で初共演。その後、ニューヨーク、スカラ座で共演。彼女はカウフマンを鼓舞し、チューリッヒから出て、もっと大きなキャリアを追求するべきだと彼を説得したのだとか。その後、「蝶々夫人」のスタジオ録音も。EMIのようなレコード会社に無名のテノールをピンカートンのような主要キャストに使うように要請するのは、そんなに簡単なことではない。私を信用してくれたことはうれしかった。私には特別な声を見つける才能があるのよ〜という話です。(チェックしてみたところ、ゲオルギュウがメトの椿姫の相手役テノールを探していて、「親しいお友達の」バルトリの「ニーナ」のビデオでカウフマンに目を留め、メトのゲルプに彼を強力に推薦したこと、まず「つばめ」で共演したことは、カウフマンの伝記にも、その他、彼女がカウフマンを称賛する言葉とともに、彼女自身が語る形で掲載されています)

タイムズの記事、何が言いたいのかよくわからない部分もありますが、一応全文載せておきます。

「ヨナス・カウフマンには間違いなどあり得ないわけ」
出来たてのほっかほか、熱々のテノールは、自分自身のキャリアも人気歌姫たちの扱い方も心得ている

ここまで来るのにずいぶん長くかかったが、クラシック音楽の最大の後継者探し、すなわち、発見困難な4番目のテノールを求める20年にわたる消耗戦は、終わった。そして、それは、結局は見つからないままだ。

次のパヴァロッティや次のドミンゴ、あるいは次のカレーラスとして、様々に誇大宣伝された複数の候補者たちは、壊れてしまったり、燃え尽きたりしてしまった。用心深いバリトンたちは、テノールたちの不運を一括して、オペラでの不運を避けるための価値あるマニュアルとした。やってはいけないこととは、怒って公演の中盤で舞台裏に逃げ込むとか、合わない役をやりすぎて声をなくすとか、演出家とけんかするとか、指揮者とけんかするとか、安っぽいポップスアルバムを作り過ぎるとかだ。全部やっても、なんとかうまくいった者もいる。

「本当に難しいです」と、ドイツ人テノール、ヨナス・カウフマンは、ロイヤルオペラハウスでソファに身を投げ出して、歌を歌うときみたいな抑揚のない、用心深い英語で、認めた。これは、フランチェスコ・チレア、1902年のオペラ、アドリアーナ・ルクヴルールのリハーサル中のある日、リハーサル後に話されたことだ。このオペラは、コヴェントガーデンでは100年以上たってからの初上演だ。彼と並外れて気まぐれなルーマニア人ソプラノ、アンジェラ・ゲオルギュウのための公演だ。「トップに立たないで立つことではなくてそこに留まっているのはトップに居続けることは本当に難しいのです。とにかく突き進もうとして頑張れば、何らかの近道はあり得ます。時には偶然が上昇を助けてくれます。しかし、やっぱり一歩一歩進むのが良いのです」

今現在、カウフマンはちょっと間違う可能性がある。目下、称賛の波の頂点に乗っている。バイロイト音楽祭、コヴェントガーデン、そして、メトロポリタンオペラといったオペラのエベレストから、麓の気難し屋のウィグモアホールまでそれは広がっている。シューベルトの歌曲集「美しき水車小屋の娘」のために、英雄的なドイツ物と抒情的なイタリア物の両方に熟達している、そのハスキーなテノール声を小さくすることによって、満員の聴衆を気絶するほど感動させた。満員の人数以上が、閉め出された。

インタビューの後、舞台にぶらぶらと戻って、タイムズの写真撮影のために、アドリアーナのセットのベルベットの緞帳の中を不機嫌な感じでじっとみつめた。「そうです。ラテンの恋人タイプというわけです」これが、その映画スターのような美形に対する、ちょっと不愉快な、できれば別のことを話したいという反応。

確かに強力なパッケージ(三大テノールとの比較。一番の共通性は暗い声のドミンゴにある)しかし、カウフマンはそのパッケージをドイツ人として効率的に売るべきという要求には屈しない。ディーヴァたちはやんわりとからかわれかねない。私は彼に、ゲオルギュウは彼女こそが41歳の歌手を発見したのだと吹聴して楽しんでいますよと話した。「おやおやそうですか。彼女が私を<発見した>のは・・・2002年か2003年だったかな。でも、今まで失業したことはなかったよ」と、しかめっつらで答えた。「最初に一緒に歌ったのはロンドンでプッチーニのつばめでした。私達は、為すべきこと、つまり、聴衆のために、どうすれば火に油をそそげるかということをすぐに理解しました。何がおこっているかはわかるものです。私達は一緒にやりすぎないのようにしています。そういうことは、いつか問題になる可能性があります」

オペラのヒロイン、アドリアーナは得体の知れないマウリツィオと恋に落ち、結局は恋敵から贈られた花束の毒で死ぬ。オペラ的な安っぽい話の一つだ。カウフマンは別の考えだ。「このオペラはめったに上演されません。話の筋は他の多くの頻繁に上演されるオペラよりお粗末じゃないことは間違いないのに、なぜ上演されないのか私にはわかりません。マウリツィオは面白いキャラクターです。なぜならば、彼はそれほど潔白ではないからです。彼はとても格好良くて、人当たりがよいように見えます。でも、結局のところ、裏切り者であることは確かです。いつも複数の女性と関係を持っています」 カウフマンは歴史上の人物の本当の人生を話してくれた。18世紀、サクソン伯は、9歳で戦争に参加し、金持ちの女公爵と結婚、そして20歳のはじめごろ、離婚。オペラの死の花束より嘘っぽい。「こういうことを知れば、こういう人物を演じるのはおもしろいです。単に人当たりのいい、ハンサムな奴ではないのです」とカウフマンは抗議する。

カウフマンは、最新の録音ヴェリズモで、すばらしくやっているように、イタリア物の恋人や女たらしさえ、いい感じで演じるのは、以前の第4のテノール候補者たちには全然なかった、ある種の一徹さのお陰だ。彼はミュンヘンで、ワーグナー好きの家庭で育った。(最近、メゾソプラノの妻と三人の子ども達と共に生まれ故郷に戻った)彼は、大学時代に、数学から音楽に専攻を変更したのだが、苦労して声楽をやることは誰も理解してくれないということを知った。

「誰もが言いました。やめとけ。あれは大声すぎる。すごく大変だ。あまりにもわけが分からない世界だ」 彼は誰も聞きたがらない分野で、声を使っていた。「いつもイタリアのアリアでオーディションを受けて、雇ってもよいと言われましたが、すばらしかったけど、君はドイツ人歌手だよ。ドイツ物の役を歌ってくれと言って、モーツァルトをやらされました」

こういう強情さが、彼の上昇を妨げたのは疑いない。彼の故郷のオペラカンパニーであるバイエルン国立歌劇場がこの15年でたったの三回しか彼を雇わなかったことは明らかに今もなおわだかまるものがある。(新運営陣は彼を切望しているので、ミュンヘンへの帰還となった)しかし、孤独な年月のど真ん中、シカゴ・リリック・オペラが彼にヴェルディの主役をオファーしたとき、彼はもっと小さな役を求めて、驚かせた。(オファーされたのはオテロだったようです。実際にはカッシオ役で出演)

「あの時引き受けていたら、違っていたかもしれません。無理していたら、もっと早くメトと契約していたかもしれませんけど、急ぐ必要ないでしょう?」

この背後には、ごく最近の、有名なうわさ、オペラ界のスターの燃え尽き現象のことがあるのは間違いない。ローランド・ビラゾンは、流星のような上昇でトップに上り詰め、カウフマンを飛び越した、大いにカリスマ性のあるメキシコ人テノールだった。その結果は続発する声の問題に苦しむことになり、今や、多くの人がオペラハウスでの彼のキャリアは終わったと見なしている。

「いつかトップレベルに到達すること、トップに立つのにふさわしいということではなくて、トップに立つために本当にがんばったこと、必ずかかるプレッシャーとの向き合い方を経験していることが重要だと思います。一夜にしてスターになったら、成功に溺れずに、それを維持するのはおそろしく難しいことです」

彼は、レコードレーベルが、舞台で実際に歌えないレパートリーに歌手を追い立てていることについても言う。「彼らは金儲けできるかどうかだけを見ていて、くよくよするな、かまうことはないと考えているのです」

あれはビラゾンの運命だったのでしょうか。(二人は偶然同じレコードレーベルの傘下にある)「ローランドにたまたま起こったことだとは言ってません。彼は沢山の公演で歌って、そのすばらしさをはっきりと示しました。でも、多分やりすぎたのです」

現在のオペラ界の話になると、カウフマンはざっくばらんなままではあったが、にこやかさは消えた。彼の最大の不満は、音楽も歌詞も原語で読めない演出家に対するものだ。「彼らは、その場面で実際に起こっていることをなんとか知ろうとして、CDのブックレットを持ってそこに座っているのです。そして、私たちは、そこに座って『どこかには素晴らしい演出があるのだろうけど、目下のところは、演出家が、これは一体全体何なのかということを、私達に説明させてくれる準備ができるのを待つしかない』と思いながら、ここに座っているのです」

理想を言えば、計算できるプランナーのカウフマンとしては、他人の指示を待つよりは、自分自身のやり方で歩を進めるのを好む。今彼を雇うなら、彼の条件をのむことだ。つまり、ワーグナーをやってもらいたければ、プッチーニかヴェルディも契約する必要がある。「無理矢理に押し通さなければ、箱に押し込められて、そこから二度と出られないでしょう」ワーグナーのワルキューレ、彼の最初のジークムントがもうすぐニューヨークであるが、だからこそ、ロンドンでは、新たなフランス物の役を試す。ベルリオーズのトロイ人でエネアスである。

多様性がこのテノールの人生のスパイスなのだ。そして、これは彼の相手役のご婦人たちに関しても同様だ。ゲオルギュウにはおもしろくないニュースだ。「アンジェラとの共演は大好きです。舞台で見てもらいたいです。でも、美しくて、素敵で、魅力的なソプラノは大勢います」と、オオカミのように残忍な感じでにやりと笑ったとたん、冷徹な男、氷男のカウフマンの氷が解けたようで、打ち解けた雰囲気で言った。「これこそが私の職業の贅沢な部分です」
★ ★ ★

カウフマンのインタビュー記事はこのところ急増中のようですが、怪しげなものも含まれている感じはします。例えば、イタリア語の記事を英語に訳したもの(愛するイタリアの劇場よ、私を望むなら、目覚めよ!2010.11.16)のようですが、カウフマンが「自伝」を出したことになっています。インタビューで本人がそれを認める発言をしているところが、奇妙です。実際に出版されているのは、「自伝」ではなく、どういう人かわかりませんけど、トーマス・ヴォイト(Thomas Voigt)という人が書いたものです。(イタリア語から英語に変換する時点で奇妙なことになったみたいです。言語はやはり難しいです。簡単に多言語使用がいいとか言えませんね・・)

質問:仕事を引き受け過ぎると非難されていますね。
答え:キャンセルするのは好きじゃありませんが、調子が良くない時は、調子が良くないのです。咽頭炎を押して歌って自分のキャリアを縮めるよりは、一公演、聴衆をがっかりさせるほうがいいのです。

質問:ヴェリズモのアリアを録音した理由は?
答え:いけませんか? すばらしい分野じゃないですか。
質問:だけど、時代遅れじゃないですか。
答え:確かに。悲しいことです。金曜日にここロンドンでアドリアーナ・ルクヴルールを歌っていますが、極上のオペラだと思います。
質問:あなたには、ウェルテルみたいな、心理的に複雑な役をやってもらいたいのです。
答え:ウェルテルもローエングリンもやりますよ。でも、ずっと、アンドレア・シェニエやカヴァレリア・ルスティカーナを歌いたいと夢見ていました。もちろん、こういのは危険なオペラだということはわかっています。
質問:どうして危険なんですか。
答え:神経むき出しという感じで、非常に情熱的に歌う音楽だからです。我を忘れて興奮することと感情的に入れ込むことが危険なのです。だからこそ、オテロは今までずっと断っているのです。
質問:もの凄い数の役でデビューするといううわさですが。
答え:今のところ、シェニエ、カヴァレリア、道化師、西部の娘、マノン・レスコー、トロヴァトーレ、運命の力、トロイ人が予定に入っています。
質問:すごい!この中にイタリアでやるものはひとつもないんですね。
答え:イタリアで歌いたいのですが、どうしたら可能なのでしょうか。イタリアでは、6ヶ月前に出演可能かどうかを聞くのです。よそでは5年前ですよ。それに、イタリアの劇場のために、1年に3ヶ月も時間をあけておくことはできません。でも、2月にはトスカで、スカラ座に戻ります。

質問:メトとミュンヘンでやったボンディの演出はスカラ座では絶対に成功しないことはおわかりでしょう。
答え:ボンディに言いました。このトスカはスカラ座ではトラブルになりますよって。ボンディは立派な演出家ですが、今回はこのオペラを重視していなかったのだと思います。でも、ミラノでの再上演には来ますから、修正してほしいと思ってます。

質問:ドイツで自伝が出版されていますが、41歳ではちょっと早すぎませんか。
答え:確かに。ですけど、とにかくだれかが私について本を書くはずです。それなら、オペラのことなんか何一つ知らないジャーナリストなんかに書かれるより、自分で書くのがよいと思ったのです。

質問:あなたがそんなにハンサムでなかったら、同じように成功したでしょうか。
答え:わかりません。だけど、私がこんな風だとしても、それは利点でも欠点でもありません。本当の問題はオペラの観客が映画やテレビを見ることです。それで、想像力がどんどん低下するわけです。かつては事はずっと簡単でした。パヴァロッティやカバリエは舞台にじっと立って、神のように歌った。それで、皆幸福だったんです。今はこれではもう十分ではありません。我々歌手にとって、これはいいことではありません。なにもかもがずっと難しくなったのです。

質問:ワーグナーを歌い続けますか。
答え:次はニューヨークでジークムント・デビューです。
質問:トリスタンはいつですか。
答え:少なくとも向こう5年間はやりません。あれは声を損ないますからね。私はこの仕事がとても好きですから、早期引退なんてことにはなりたくないのです。

論理的矛盾もあるし、実際にやったインタビューなのか、実際にやったことはやったけど、適当書いているのか、怪しい雰囲気もあります。それはともかく、この記事のイタリア人筆者はこんな風に思っているようです。
「カウフマンの声は非常に特殊だし、その歌い方はクラシック音楽としての『イタリアのスタイル』ではない。最新の録音「ヴェリズモ」ってのは、ドイツ人歌手のものとしては普通じゃない。ヴェリズモとは言えない作品(メフィストフェレ、ザンドナイのロメオとジュリエット、ポンキエッリのリトアニア人)が含まれている。でも、管弦楽は我々のもの(ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団)だし、指揮者(パッパーノ)は半分イタリア人なんだよね・・」
オペラファンの四分の三が、女性とゲイで、だからこそ、カウフマンがアイドルになるのは彼の外見を見れば納得・・というのも、どうかと思いますけどね。
★ ★ ★

2010年発行の伝記から。間違えることのない堅実な歩みです。
ついでに、紫字はファンサイトに載せられている予定。
19696月 ミュンヘンで生まれる
1989-1994
20歳〜
ミュンヘン音楽・演劇専門学校(大学)でオペラとコンサート歌手養成の職業教育

1993/94
カラメロ「ヨハン・シュトラウス:ヴェネチアの夜」レーゲンスブルグ

1994
5月 タミーノ「モーツァルト:魔笛」コンサート形式 プリンツリーゲンテ劇場ミュンヘン
1994-1996ザールブリュッケン国立歌劇場専属(Festengagement)
1995
4月 マタイ受難曲 フランクフルト旧オペラハウス(現コンサートホール)
1996Bibalosの新作オペラ初演トリーア
1996〜フリー(Freischaffender)
1997「モーツァルト:魔笛」ヴュルツブルグ
「ロンバーグ:学生王子」ハイデルブルグの音楽祭
「シマノフスキ:ロジェ王」シュツットガルト
1998「モーツァルト:コジ・ファン・トゥッテ」 ミラノ新小劇場
ヤキーノ「ベートーベン:フィデリオ」/アルマヴィーヴァ「ロッシーニ:セビリアの理髪師」 シュツットガルト
スタジオ録音 Abert"Ekkehard" /Loewe"Die drei Wuensche" Capriccio
1999
30歳
「モーツァルト:ティートの慈悲」 クラーゲンフルト(オーストリア)
「ブソーニ:ファウスト博士」 ザルツブルグ音楽祭デビュー
2000「モーツァルト:コジ・ファン・トゥッテ」ハンブルグ/フランクフルト/ヴィスバーデン
アルフレード「ヴェルディ:椿姫」 シュツットガルト
フロレスタン「Paes:レオノーラ」Wintherthur
2001ヴィルヘルムマイスター「トマ:ミニョン」トゥールーズ( フランス)
カッシオ「ヴェルディ:オテロ」シカゴ・リリック・オペラアメリカデビュー
スタジオ録音 Marschner "Der Vampyr" Capriccio
2002
チューリッヒ(Ensembletheater "Mutterschiff Zürich")
「モーツァルト:コジ・ファン・トゥッテ/後宮からの逃走」「モンテヴェルディ:ウリッセの帰還」「パイジェロ:ニーナ」チューリッヒ
「ベルリオーズ:ファウストの劫罰」ブリュッセル
コンサート スポレート/エジンバラ
フロレスタン「ベートーベン:フィデリオ」コンサート形式 ラインガウ音楽祭/ボン・ベートーベン祭/シュツットガルト
フラマン「R.シュトラウス:カプリッチョ」 トリノ
2003「ヴェルディ:椿姫」シカゴ
コンサート 東京
「ベルリオーズ:ファウストの劫罰」ジュネーブ
「モーツァルト:後宮からの逃走/皇帝ティートの慈悲」ザルツブルグ音楽祭
「モーツァルト:魔笛」ベルリン・コミッシュ・オーパー
スタジオ録音「シェーンベルク:ヤコブの梯子ほか」ナガノ指揮 ハルモニアムンディ
2004「ベートーベン:フィデリオ」「グノー:ファウスト」チューリッヒ
カッシオ「ヴェルディ:オテロ」パリ
「ウェーバー:魔弾の射手」「R.シュトラウス:カプリッチョ」エジンバラ音楽祭
「プッチーニ:つばめロンドンコヴェントガーデンデビュー(ゲオルギュウの相手役)
スタジオ録音「ウェーバー:オベロン」ガーディナー指揮 フィリップス
2005「ヴェルディ:ファルスタッフ」「モーツァルト:皇帝ティートの慈悲/コジ・ファン・トゥッテ」「シューベルト:フィエラブラス」チューリッヒ
ベートーベン 荘厳ミサ曲 クリーブランド
「フンパーディンク:王子王女」モンペリエ(フランス)
2006アルフレード「ヴェルディ:椿姫ニューヨーク メトロポリタン・オペラデビュー(ゲオルギュウの相手役)
マーラー 大地の歌 ベルリンフィル
「シューベルト:フィエラブラス」パリ
「ワーグナー:パルジファル」チューリッヒ
「スメタナ:売られた花嫁」フランクフルト
「モーツァルト:魔笛」ウィーン国立歌劇場
「ワーグナー:マイスタージンガー」エジンバラ音楽祭
「モーツァルト:魔笛」メトロポリンタン・オペラ
ドン・ホセ「ビゼー:カルメン」ロンドン
2007「ヴェルディ:ドン・カルロ」/「フンパーディンク:王子王女」「プッチーニ:ラ・ボエーム」チューリッヒ
「ヴェルディ:椿姫」チューリッヒ/パリ/スカラ座
初リサイタルCD ロマンチック・アリア デッカ
2008「プッチーニ:ボエーム」ベルリン
「ヴェルディ:椿姫」ロンドン/メト
「ビゼー:カルメン」チューリッヒ
カヴァラドッシ「プッチーニ:トスカ」ロンドン
スタジオ録音「プッチーニ:蝶々夫人」(ゲオルギュウの相手役)

「マスネ:マノン」シカゴ
「ベートーベン:フィデリオ」パリ
2009
40歳
2番目のリサイタルCD憧憬
「プッチーニ:トスカ」チューリッヒ/ウィーン
「マスネ:マノン」ウィーン
ローエングリン ミュンヘン オペラフェスティバル
スタジオ録音 美しき水車小屋の娘

「ヴェルディ:ドン・カルロ」 ロンドン
ヴェルディのレクィエム パリ/ミラノ
ドン・ホセ「ビゼー:カルメン」 スカラ座開幕公演
2010「マスネ:ウェルテル」 パリ
「プッチーニ:トスカ」「ビゼー:カルメン」メト
「ワーグナー:ローエングリン」ミュンヘン バイエルン国立歌劇場/バイロイト音楽祭新演出バイロイトデビュー
「ベートーベン:フィデリオ」ルツェルン
コンサート コペンハーゲン
3番目のリサイタルCD ヴェリズモ
「チレア:アドリアーナ・ルクヴルール」(ゲオルギュウと)ロンドン
「ベートーベン:フィデリオ」ミュンヘン
コンサート バーデンバーデン(アニャ・ハルテロスと)
2011「ベートーベン:フィデリオ」ミュンヘン/コンサート プラハ/「マスネ:ウェルテル」プラハ/「ビゼー:カルメン」ミュンヘン/「プッチーニ:トスカ」スカラ座/リサイタル ロサンゼルス・オペラ/リサイタル バークレイ/「ワーグナー:ワルキューレ」メト新演出(一部キャンセルあり)/コンサート レイキャヴィク(アイスランド)/「ヴェルディ:ドン・カルロ」東京NHKホール、愛知芸術劇場メト来日/「ベートーベン:フィデリオ」ミュンヘン音楽祭/「プッチーニ:トスカ」ロンドン/歌曲リサイタル ミュンヘン音楽祭
歌曲 バンベルグ/コンサート ミュンヘン(ネトレプコ、シュロットと)/美しき水車小屋の娘 コペンハーゲン/コンサート ウィーン(ネトレプコ、シュロットと)/コンサート ベルリン(ネトレプコ、シュロットと)/「ビゼー:カルメン」琵琶湖ホール、東京文化会館 ボローニャ来日「ワーグナー:ローエングリン」バイエルン来日
2012「ベルリオーズ:トロイ人」ロンドン/「ビゼー:カルメン」新演出 バスティーユ/「グノー:ファウスト」新演出メト(ゲオルギュウ、パーペ)/「ビゼー:カルメン」ザルツブルグ ラトル指揮/「R.シュトラウス:ナクソス島のアリアドネ」ザルツブルグ(マギー、ダムラウ)/「ヴェルディ:トロヴァトーレ」ミュンヘン/「ワーグナー:パルジファル」メト
2013ワーグナー:パルジファル」メト/「ジョルダーノ:アンドレア・シェニエ」/「マスカーニ:カヴァレリア」/「レオンカヴァッロ:道化師」/「プッチーニ:マノン・レスコー」新演出ミュンヘン(ネトレプコと)/「マスネ:ウェルテル」メト

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コメント 12

keyaki

リンクとTBありがとうございます。
どちらもずいぶんと皮肉っぽいインタビューですね。
イタリアの方は分かり易いですけど、タイムズの方は、カウフマンがなにを言ってるのかよくわかりません。
トップに立たないで、そこに留まっていることは難しい....って???アンサンブルでいればいいだけじゃないの
ビリャソンのこともやり過ぎだなんて.....カウフマンの方がやり過ぎでしょう。
女声歌手に対しても、ちょっとなんかバカにしてるかんじ。

>シェニエ、カヴァレリア、道化師、西部の娘、マノン・レスコー、トロヴァトーレ、運命の力
凄い! イタオペではクーラを目指してるみたい。
予定に入っているということは5年以内にやるってことですよね。


by keyaki (2010-11-25 01:28) 

euridice

>アンサンブル
オペラハウスの形態は複雑そうです。カウフマンのバイオグラフィー(伝記)にその辺りの説明がありました。

かつてドイツ語圏の歌劇場は、ベルリン・ドイツ・オペラ、ウィーン国立歌劇場、シュツットガルト、ミュンヘンなどの主要劇場も、多くのトップ歌手たちのホーム・オペラ・ハウス、つまり、アンサンブル劇場だったけど、今やそのような劇場は存在しない。

ドイツ語圏での唯一例外がチューリヒだそうです。かつてのアンサンブル劇場で、歌手は一定契約を果たせば、後は自由に客演できたし、インテンダントは歌手の保護者で、たとえば、外国の劇場のロールデビューでの失敗を避けさせるために、難しい役は、まずホーム劇場でやらせるということをしたりしていたのだとか。

現在、かつてのアンサンブル劇場のアンサンブルに残っているのは、小さい役専門の歌手だけ。主要な役をやる歌手になりたければ、道は二つしかない。ひとつは、中小歌劇場の専属歌手として残ること。ただし、これを選ぶと、主要劇場に客演する時間はほとんどないから、トップクラスの歌手にはほぼなれない。もうひとつの道は、フリーの歌手として、世界中を駆け巡る道。

というわけで、チューリヒは目下唯一の母船劇場だそうです。それに成功したのはペレイラ氏ただ一人というわけ。ヴェッセリーナ・カサロヴァ、トーマス・ハンプソン、チェチリア・バルトリ、エディタ・グルベローヴァ、ペーター・ザイフェルトなどのが、毎年、繰り返しチューリッヒに戻ってきているし(ライモンディも仲間と言えるかもしれませんね)、チューリッヒから国際的なキャリアに雄飛した歌手は、ロベルト・サッカ、ミヒャエル・フォッレ、そして、ヨナス・カウフマンなどですって。


by euridice (2010-11-26 09:34) 

ななこ

>>アンサンブル
シュツットガルト歌劇場の総裁エヴァ・クライニッツ女史が日本のオペラ歌手の卵さん達にとにかくアンサンブルに入り、積極的にいろいろなチャンスにチャレンジするように薦めていました。
際立った個性や才能があれば誰かの目に留まり、カウフマンがゲオルギウに見いだされたようにチャンスが訪れるかも知れないし、あちらではオーディションがたえず行われているようですからそこで役を得られるのではないのでしょうか?
でもそんな幸運に恵まれるのはほんのわずかで中小歌劇場の専属で一応の生活が保障されればそこに安住してしまうのでしょう。
オペラ歌手を目指す人がどれくらいいるのか分かりませんが、トップ歌手なんてほんの一握りですものね。
ただ、世界が新しいスター歌手の登場を待ち望んでいるのですから、我こそと自信のある歌手にはその存在をしっかりアピールして欲しいと思います。そしてその歌手に何か光るものがあれば、世間が放っておかないと思います。

by ななこ (2010-11-29 23:08) 

ansing26

はじめまして。最近オペラにはまった駆け出しファンです。
いつも興味深い記事をありがとうございます。
記事の原文を読んだのですが、「トップに立たないで、そこに留まっているのは難しい…」は「トップに立つことではなくて、トップで居続けることは難しい」ではないでしょうか。あとのほうでも同じようなことを言っていますね。



by ansing26 (2010-11-29 23:26) 

euridice

ansing26様
ご指摘ありがとうございます。訂正します。

主文が離れていたのでうっかりしました。
少々変なことを言うと思いましたけど、
この方の経歴から、それもありかも〜〜なんて^^;;

>同じようなことを言っています
他のインタビューでも同じことを言ってます。

今後ともよろしくお願いします。


by euridice (2010-11-30 07:49) 

euridice

ななこさん
このような長い無名時代を経て世界的スター歌手になったケースは
少なくとも知る限りでは非常に珍しいのではないでしょうか。
継続は力なり、あきらめないことが大事ですね。その間の生活保障が必要でしょうけど・・共働きがフリー時代を支えていたのかな〜〜と思います。

>トップ歌手なんてほんの一握り
ましてスターテノールと言われるのは・・


by euridice (2010-11-30 08:14) 

Cecilia

euridice様、あなたの面白いブロッグを始めて見つけましたので書かせていただきます。はじめまして。
「トップに立つことではなくて、トップに居続けることは本当に難しいのです。」という発言が問題になったようですが、お二人とも解釈は正しいと思います.カウフマンは後にも「いったんトップに上がってもーーその資格があるかどうかに関係なく、一生懸命努力してそこ迄行き着くと、どうやってその地位のプレッシャーにたえるかという問題が必ず出て来ます。」と言っていますよね。このnot that you deserve it という言葉が彼の謙遜さをはっきり顕しています。けれども彼は長年かかって努力と勉強を続けて来た声楽家だから自信はあるのです。
大分前に始めて日本のブロッグを讀んだ時、カウフマンの事を,全然テノールじゃない、いい声じゃない、とか、イケメンと聞いているのに髯だらけで汚い男だとか,だらしないシャツを着ているとか悪口が書いてあったのでショックを受けた事があるのです。彼の無精髭や逆立ちしてる髪、さえない服装などは,彼が人の評判に左右されない人間だという事をわざわざ表明するために無頓着にしているのではないかと思います。そのために三四年前の細かった体型も今は平気でよく食べて肥って来たみたいです。ここでも記者に「あなたがそんなにハンサムでなかったら、同じように成功したでしょうか」とぶしつけに聞かれていますが、大分前にも「若いロマンチックなイケメンがあなたのキャリアーに役に立ったのではありませんか」と聞かれて彼は「それはハンデキャップになっていると思います。レコード会社がそんな事をでっち上げてレコードを売ろうとしていると批判する人もいます。一体外見など長続きしないものです。私は声を聞きに来て欲しいのです」と答えています。とにかくこの人はオペラやリートについて自分の信条を持ってこつこつと勉強して来た人らしいですね。多くの人に尊敬され愛されていい人だと思います。私も彼のオペラもリートも好きです。
他にもちょっと気になった事があるのですけれど又書かせていただきます。





by Cecilia (2012-03-13 11:19) 

euridice

Ceciliaさん
はじめまして。
もちろん「Ceciliaの部屋」のCeciliaさんじゃないんですね。

>彼の無精髭や・・
>左右されない人間だという事をわざわざ表明
ちょっと矛盾しているみたいです。
評 判など気にしないのなら、わざわざどうこうすることなく、自然体でいると思います。だから、きっとそうだと思います。持って生まれた外見は変えられません が、好感を与えるように外見を整えるのは自然なことだし、他人がどう思うかなんて気にしないで好きな格好をするのも勝手でしょう。

どこか でも書きましたが、ずっと前に読んだ本に、ブラームスが美男だと思われるのが嫌でわざとヒゲぼうぼうにして、できるだけ醜く見えるように努力したという話があ りました。昔からそういう偏見ってあるということなんでしょうか。だったら、もしかしたら、彼もそうなのかもしれませんね。

有名オペラ歌 手となると、ちょっとまともな外見だと、すぐ「外見だけ」とか「外見がいいから本当の価値以上の人気があるのだ」なんて言われちゃうみたいですから、大変 ですね。でも、人前に立つ仕事だし、物語の人物を表現するのですから、外見はそれにふさわしいほうがいいに決まってると私は思います。
by euridice (2012-03-15 09:16) 

Cecilia


euridice様、
御返事ありがとうございました。私は「Ceciliaの部屋」という方がいらっしゃるとは知らないでこの名前を使いまいましたが、変えてもいいのかしら。
あなたのおっしゃる通り、人前に立つ仕事をしている人たちは自分の仕事の名誉をキヅつけないために私生活でもいちおうちゃんと下自分を見せるべきですよね。カウフマンはとにかく自然体が好きらしくて人工的なことは絶対にさけてるみたいですね。
私が彼を尊敬している理由はいろいろありますが、彼の仕事に対する姿勢もその一つです。彼がインタービュウで言っている所によると、同じオペラを何度も繰返すとあきる性質なので、いつもその人物の心の奥まで入って行って今まで気がつかなかった要素を探して新鮮さを保とうとしているのだそうですね。彼は本当にリブレットの意味をよく考えて、その心を完全に理解して歌うので,私の見た所、ドン・カルロをやってもアルフレッドをやってもモーリチオをやってもフロレスタンをやっマリオをやってもその人物にすっかりなり切っています。これほど役と真剣に取り組む人は舞台俳優でもなかなかいないのではないでしょうか。そうして音楽とこれほど真剣に取り組んでいる人は全くの純粋な芸術家だという気がします。
それからあるインタービュウで好きなCDがあるかと聞かれてグレングールドノゴールドベルグヴァリエーションの二つのレコードの事を言ってちゃんとした批評をしているのを讀んで私はびっくりしました。ピアニストならばまだしも、15年ピアノを勉強したけれど妻の方がピアノは上手だから、と謙遜する人がこのCDが好きだといい、旅行するときにいくつかの美術館の会員になっていて一時間でも暇があれば見に行く、と言ったのに感心しました。特にルーブルなどに子供を連れて行って見せるのと何でもスポンジみたいに吸い込むので嬉しいと言っているのでいいパパなのだと嬉しくなりました。(又書きます)

by Cecilia (2012-03-17 08:15) 

Cecilia

euridice様、続きです。

私が年甲斐もなくカウフマンのファンになったのは大分前の事ですが、その頃は「ヨナスが私の息子だったらーーと思う事が多い」とか、「友達にヨナスが自分の孫でないのが不満でたまらないと文句を言うオジイさんがいる」とか言うアメリカ女性のブログを讀んで、私も子供か孫のつもりで見守っていました。
というのは 彼はおっちゃんになってしまった最近のカウフマンからは想像できませんが,若者を演じるのが上手で,2007年のチューリッヒの『王様の息子』( Die Konigkinder, Humperdink作) 王子なのに平民の格好をしてひょろっと旅に出て、百姓娘(鵞鳥娘)と凍死してしまうという半ばおとぎ話半ばメロドラマでも、実にうまく無邪気な旅の少年を演じています。
2010年にメトで『王様の息子』を出したとき、批評家がチューリヒで見た同じオペラを思い出してチューリッヒでのカウフマンは、ヒッピーじみた演出の王子の役にはすこし英雄的すぎる声だけれども、しなやかで素晴らしく変化に富んだ歌い方によってこの役にふさわしい若者らしい印象を与えていた。そうしてこの人は実に好ましいステージ上の存在感と、道化になり下がらずに滑稽味を出す才能を持っている、といい、相手役の鵞鳥娘(イサベラ・レイ)も清らかな歌で可愛らしい無邪気さを発散して役をこなしていたことを褒め、この演奏は是非DVDで出すべきだったと言っていました。
同じく私の一番気に入っているのは、いつでしたか椿姫さんのブロッグ『この二人は誰なんでしょう… エディット・ピアフとテオ・サラポなんだそうです。』とご紹介のあったパリ国立オペラ座で2007年にやったへんちくりんの『ラ・トラビアータ』です。
はじめに YouTubeで断片を見つけたとき、これは一体なんだろうと呆れたのですが,見ているうちにすっかり感心しました。というのは舞台の上で他の連中のやっている変な行動に関係なく,カウフマンの歌と演技に驚いてしまったのです。その後 どうしてもその『椿姫』がほしくてヨーロッパからDVDを買いました。

2007年ですからカウフマンはその頃もうそんなに若くなく,37、38歳くらいだったのだと思いますが、第一幕ではまるきり高校生のように初々しく,ひとつひとつの動作が田舎から出て来た少年らしく不器用で無知で可愛らしいのです。それを年上のヴィオレッタが始めは興味半分見ているうちにだんだん目が離せなくなって行きます。
アルフレッドが三幕を通じて少しずつ大人になって行くのをカウフマンは短時間に巧みに演じています。三幕目にアルフレットが死ぬヴィオレッタを訪れる場面も演出は全くそっけなく前衛的で、MetやROHの豪華な演出からは想像もできないつまらない舞台です。この『椿姫』は演出が演出なのでパリの若い人たち以外では評判は悪いようですが、 私はカウフマンとクリスティーネ・シェーファーとの息の合い方とカウフマンの演技と二人の歌に吊られて, この『椿姫』がすっかり気に入りました。ただしヴィオレッタの死の場面では皆ただ突っ立ているので「一体この人たちは何をしてるんだ」と憤慨しましたがーーー
彼はもう今年の夏はベルリオーズの『レ・トロイアン』や来年二月にはメトで『パルシファル』をやるそうですからだんだん英雄的なワグナー的なものを手がけているのですね。それは始めから計画していたことだから仕方ありません。『パルシファル』はライブビューイングをこの三年くらい全部見ていますのでもちろん見ますが、トロイアンの方はメトでもやるのにカウフマンが配役されていないのでロンドンまで見に行こうかなどと考えています。ヨーロッパやアメリカのカウフマニアたちは彼があちこちの都市でリートの夕べやオペラに出る度に追っかけて行くそうです。私はそんなストーカーみたいなことはしませんが、一度くらいオペラを見るために旅をしてもいいんじゃないかと思っています。では失礼いたします。







by Cecilia (2012-03-17 08:40) 

euridice

>『この二人は誰なんでしょう…
これは↓の記事ですね。
http://keyaki.blog.so-net.ne.jp/2007-08-07

この「椿姫」は私も映像を見ました。
http://euridiceneeds.blog.so-net.ne.jp/2009-01-27





by euridice (2012-03-18 18:13) 

Cecilia

euridice様
ヴェルディ「ラ・トラヴィアータ/椿姫」パリ2007年[オペラ映像]
讀ませていただきました。「音のみによる鑑賞は、無意味という感じ」とか、「劇が進行すると共に、ヒロインの心の気高さがあらわになってきて、最後の死がなんとも美しかった」とか、「ヒロインの若い恋人がどんな人物であったのか知りませんが、誠実な心だけはありあまるほどあれども、極端に不器用な若者のその存在感はなかなかでした。この恋人同士、オペラ的違和感なし。そのまま、これはこれとして受け入れ、感情移入するのは容易でした」とおっしゃってる所ぜんぶ同感です。

けれども「何もわざわざヴェルディの音楽にのせなくても・・」という所は 少し異論があります。発想がまずピアフの映画とか演劇とかならばそういう批評も出て来ますけれど、これはオペラ椿姫から始まったプロジェクトですから、この場合当たらないと思います。
とにかくヨーロッパでは(主にドイツとフランス)もう疲れ切った古いオペラの演出に 何とかカツを入れて 若返らせたいというのでとんでもない趣向をいろいろ考えているそうですから、このアイデアは一応おもしろい、と周囲の人が思って同調したのではないでしょうか。
“La vie en rose”とかいう映画が2007年に出て来てずいぶん評判になってピアフを演じた女優/シャンソニエーが大層褒められていましたよね。丁度同じ頃だったので、 Christoph Marthalerのアイデアもたいへん時を得ていたといえますね。別に映画に影響されたわけではありませんが。
私も 本物のピアフの シャンソンの舞台を一度見に行った事がありますが、シェーファーの感じとは全然違っていました。けれどもシェーファーは 伝統的な椿姫でもピアフでもない、 彼女自身一人の特異な女性を演じていて十分納得できます。
私はピアフという人には別に興味はありません。けれどもこの監督の思いつきは一応うなずけます。そうしてそれを正直に再現しようとしたシェーファ-とカウフマンにも拍手を送ります。
まあこれはもう5年も前のオペラですから、今いろいろ言う必要はないと思いますが、一応演奏の歴史の上で、私個人としてこの椿姫はすばらしく気に入っています。2008年のローヤルオペラハウスのネトレブコ/カウフマンの椿姫のDVDが出てくれば大喜びで買うのですけれど。2006年のメトのギョーギューとの椿姫より、YouTubeの映像から推察してROHの方が好きではないかという判断ですからあてになりません。
「 ヨナス・カウフマン。いくつかの映像を視聴してそのたびになぜかどうも不満な感じがします。今回も声は毎度おなじみ、魅了されることなしです。要するに私には響かない」とおっしゃるのはわかります。声や演奏は個人の趣味の問題ですから。 正直な所、私だって 始め声を聞いてぎょっとしたくらいですから、あの頃のカウフマンがあんなにきれいでなかったら好きにならなかったかも知れません。というのは肥ったいやな親父だったら二度と声を聞く事はなかったと思います。ところがあんまりきれいだから(自分の年に関係なく私はやはり女も男もきれいな人が好きです)見ているうちに声まで好きになり、その声にあらわれる真剣さと、どの役にも誠実なその人柄が大好きになったのです。だから今は正々堂々とカウフマンファンの一人をもって任じています。
おや、これはもう全く euridiceさんとの個人的通信みたいになってしまいましたね。もうやめます。


by Cecilia (2012-03-18 23:43) 

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